こんばんは、ゴージャス松野です!



お盆も三日目になりましたが、皆さんはご先祖様のお墓参りもう済まされましたか?



この時期、お寺の境内等で蓮の花をよく見掛けますよね。



『蓮は泥より出でて泥に染まらず』



この中国の成句にもあるように、蓮の「清らかな心」という花言葉は、泥水を吸い上げながらも美しい花を咲かせる蓮の姿に由来するそうです。



お釈迦様を始めとして、仏像のほとんどは蓮台という蓮の花をかたどった台座に乗っています。



蓮の花には泥が濃いほど大輪の花を咲かせるという不思議な性質があり、澄んだ水の中では小さな花しか咲かすことが出来ないといわれています。



泥水に染まらずに美しい花を咲かせる姿が、私たちが迷いの世界から悟りの世界に行き着く姿と重なることから、蓮が仏教の教えをあらわす花になったといわれています。



泥水は人生に置き換えれば、辛いことや悲しいこと、大変なこと・・・人生とは、まさにそんな泥水の中で大輪の花を咲かせることではないでしょうか。



普段よく使われている「事の良し悪しに関わらず行動や運命を共にする」という意味の『一蓮托生』という熟語がありますが、これは「良い行いをした人は極楽浄土で同じ蓮に生まれ変わる」という仏教の教えに基づいたものだそうです。



また、『台無し』の「台」は蓮台のことで、台座がなければせっかくの仏像も威厳がなくなってしまうことから、面目を失うことや様にならないことを「台無し」というようになったということです。



他にも、蓮には花と実を同時に作るという特徴があることから、仏教では『全てのものには花と実があり仏になる資質を持っている』という意味で「華果同時」という言葉かあるそうです。



お寺の境内で何気なく咲いている蓮の花ですが、実は蓮の花は仏様の教えを伝える大切な役割を担っているようです。



仏教とは特別な教えではなく、日々の生活の中にあるものを通して、それをどう受け入れてどう考えるか、また人としてどう生きるべきかを示してくれる道標のようなものではないでしょうか・・・。


覚念行秀  合掌