こんばんは、ゴージャス松野です!



先日の出張で平泉の中尊寺を訪れた際、蓮池で綺麗に咲いている蓮の花を見掛けました。



『蓮は泥より出でて泥に染まらず』



中国の成句にもあるように、蓮の「清らかな心」という花言葉は泥水を吸い上げながらも美しい花を咲かせる蓮の姿に由来するそうです。



蓮の花には泥が濃いほど大輪の花を咲かせるという不思議な性質があり、澄んだ水の中では小さな花しか咲かすことが出来ないといわれています。



泥水に染まらずに美しい花を咲かせる姿が、私たちが迷いの世界から悟りの世界に行き着く姿と重なることから、蓮が仏教の教えをあらわす花になったといわれています。



泥水は人生に置き換えれば、辛いことや悲しいこと、大変なこと・・・人生とは、まさにそんな泥水の中で大輪の花を咲かせることではないでしょうか。



つまり、辛く悲しい思いがあるからこそ、人間は幸せを感じることが出来るということお釈迦様は教えて下さったのだと思います。



普段よく使われている「事の良し悪しに関わらず行動や運命を共にする」という意味の『一蓮托生』という熟語がありますが、これは「良い行いをした人は極楽浄土で同じ蓮に生まれ変わる」という仏教の教えに基づいたものだそうです。



また、お釈迦様を始めとして、仏像のほとんどは蓮台という蓮の花をかたどった台座に乗っていますが、台座が無ければせっかくの仏像も威厳が半減してしまうという意味で、面目を失うことや様にならないことを「台無し」というようになったということです。



このように、お寺の境内で何気なく咲いている蓮の花は、仏様の教えを伝える大切な役割を担っているということです。



折しも、今日8月15日は施食会供養が行われる盂蘭盆会に当たります。



盂蘭盆会は、サンスクリット語(梵語)の「ウランバナ」を漢字で音写したもので逆さづりという意味があるそうです。



お盆は、これが転じて「逆さに吊るされるような苦しみを除く」為の行事であるということです。



盂蘭盆会の由来は「盂蘭盆経」というお経の説話に依っているということです。


~盂蘭盆経のあらすじ~

お釈迦様の第十弟子の一人で「神通力」の第一人者である目連尊者(もくれんそんじゃ)が初めて神通力を得た時に、亡き父母に何か出来ないものかと思いその力を使って探したところ、餓鬼の中で何も飲み食いが出来ず苦しんでいる母親を見つけました。



何とか母親を助けたいと思った目連尊者は、鉢に盛ったご飯を差し出しますが、母親がご飯を食べようとすると口に入れる前に炭になってしまい食べることが出来ませんでした。



目連尊者は号泣し、お釈迦様のところへ戻って母親の話をしました。



すると、お釈迦様は「あなたのお母さんの罪は重かったようで、あなた一人の力ではどうにも出来ません。」と諭したあと、「旧暦7月15日(現在の8月中旬頃)に安居(あんご)の修行を終えた修行僧達にたくさんのごちそうをして心から供養すれば、父母も先祖も親族も三途の苦しみから逃れることが出来て解脱し、衣食には困らないでしょう」と仰いました。



目連尊者がお釈迦様に言われたとおりにすると、母親は餓鬼から逃れることができ無事に往生することが出来ました。



目連尊者は、母親を餓鬼から救うことができた事に感激し、この慣わしを後々までに残したいとお釈迦様に申し出ます。



すると、お釈迦様は「旧暦7月15日にいろいろな飲食を盆に盛り、同じように仏や僧や大勢の人たちに供養すれば、その功徳によってたくさんの先祖は苦しみから救われ、今生きている人も幸せを得ることが出来るでしょう」と仰いました。



これがお盆の始まりになったということです。



供養には、文字通り「共に養う」という意味が有ります。



皆さんも、お盆には是非ご先祖様を手厚くご供養なさって下さい。



覚念行秀  合掌