こんばんは、ゴージャス松野です!



『美しき者に微笑を、淋しき者に優しさを、逞しき者に更に力を、全ての友に思い出を、愛する者に永遠を。心の夢醒める事無く』 



横浜市鶴見区に有る總持寺の石原裕次郎さんの墓碑には、夫人の直筆で、こんな言葉が刻まれているということです。



今日は、石原裕次郎さんの祥月命日です。



裕次郎さんが、生前紫陽花を好きだったことから『あじさい忌』とも呼ばれているそうです。



偶然にも、裕次郎さんが生まれた兵庫県神戸市の市花は紫陽花だったということです。



石原裕次郎さんが亡くなったのは1987年なので、もし生きていれば今年で84才ということになります。



享年53才・・・いざ裕次郎さんの年齢を越えてみると、私よりも若くして亡くなられたなんてとても信じられません。



気遣いのできる優しい性格と豪快な人柄を兼ね備えていらした裕次郎さん・・・墓碑に刻まれている言葉は、裕次郎さんの生き方そのもののような気がします。



『体育会系の気質をお持ちで、現場で食事をする時は上下の区別なく全員で一斉に食事をする』



『誰かに会って挨拶をする時は上下関係分け隔てなく、必ず立ち上がって握手をする』



私達芸能界の間では、裕次郎さんの人柄に関するエピソードが、枚挙に暇がない位数多く語り継がれています。



東宝芸能に勤務していた時に、二の腕だった渡哲也さんと何度かお仕事をご一緒させて頂いたことが有りますが、渡さんの中にも、そんな裕次郎さんの生き方やポリシーがしっかりと受け継がれておりました。



石原裕次郎さんが少年時代を過ごした小樽・・・小樽駅には裕次郎さんに因んで、石原裕次郎ホームと名付けれたプラットホームが有ります。



画像は、数年前に小樽を訪れた際に写した一枚・・・石原裕次郎ホームには、ニヒルな裕次郎さんの等身大のパネルが設置され、在りし日の裕次郎さんを偲ばせる数々のヒット曲が鳴り響いておりました。



改めて、石原裕次郎さんのご冥福を心よりお祈り申し上げます。