こんばんは、ゴージャス松野です!



~3.11に寄せて~


『怨みは怨みによって鎮まらない。怨みを忘れて、はじめて怨みは鎮まる』(法句経)



この言葉は、『法句経』という経典の中でお釈迦さまが説かれた教えで、1951年9月6日に開かれた第二次世界大戦後の「サンフランシスコ対日講和会議」の場で、スリランカが日本に対する賠償請求権を放棄した時に、スリランカ代表が引用した言葉です。



サンフランシスコ講和会議は、敗戦国の日本をどのような処遇にするかを関連国が集まって協議した会議ですが、特に、ソ連は『アメリカ・ソ連・イエギス ・中国で日本を分割するべき』と強固に主張しておりました。



しかし、その流れを変えたのがスリランカ(当時はセイロンン政府)代表として出席していたJRジャヤワルデネ元大統領(当時は財務大臣)の演説で、この演説によって敗戦国である日本は分割統治を免れる結果となりました。



東日本大震災発生から今日で丸7年・・・今日は、朝からテレビや新聞で、こぞって震災特集が報じられました。



地震で家を失った方、津波によって家を流された方、津波によって家族を亡くされた方、原発事故により避難生活を余儀なくされた方・・・大震災は、その土地土地で様々な形の被害をもたらしました。



そして、この7年間、私たちの心の中では、『海岸線に家を建てなければ良かった、津波が来なければ良かった、原発が無ければ良かった、震災保険に入っておけば良かった』等々、様々な思いが駆け巡りました。



自責の念や自然災害への畏怖心、先行きの見えない将来に対する不安、そして原発事故への怒り・・・このような様々な思いを、法句経の『怨み』という一言に置き換えてしまうのは、少々無理があるかも知れません。



しかし、私たちの心の中にある様々な思いを、敢えて法句経の『怨み』という言葉を代名詞として置き換えるならば、震災発生から丸7年経った今、法句経の教えは、復興へ向けて私たちの心に真の平安をもたらす一番の近道であるような気がしてなりません。



震災から学んだ様々な教訓や、犠牲に遭われた方々への鎮魂の思いは心に残し、その他、私たちの心の中にある様々な思いを捨て去り、前進することが出来るのは他人ではなく自分だけしかありません。



大震災発生から丸7発絶った今、被害と同様に復興もその土地土地で様々な形が有ると思いますが、『復興』という文字が1日も早く『福幸』に変わる日を願ってやみません。



画像一枚目は、震災の年に力強く花を咲かせた福島市の桜の木です。



改めて、震災で犠牲に遭われた皆様のご冥福を心よりお祈り申し上げます。



覚念行秀   合掌