こんばんは、ゴージャス松野です!



Facebookに「1年前の今日」という機能が有って、覗いてみたら面白い投稿を発見したので、今日は1年前を少し振り返ってみます。


~平成29年1月19日~

風邪2日目・・・今日はベッドに横たわりながら、心に映りゆく由なし事をそこはかとなく日記に書き記してみました。

歌の仕事で見知らぬ土地に行くと、司会の方から『松野さん、ご紹介する時に何かNGワードって有りますか?』と聞かれることがよくあります。

『きたきた(^-^)』と思いつつ、『特に有りませんから好きなようにご紹介頂いて結構ですよ』と笑顔で答えると、ステージでは決まって『元女優の沢〇〇矢子さんのご主人で、プロレスラーとしても大活躍のゴージャス松野さんです』といった感じて紹介をされることがほとんどです。

そんな時は、自分的には『何を今さら』・・・といった感じで、少し前までは苦笑いモードでステージに立つことが多かったのですが、最近は少し考え方が変わって参りました。

少なくとも三十代までの汚れなき若者達(笑)には、『ゴージャス松野はプロレスラー』という認識しかないのですが、それ以上の世代の方々には、私の今の職業の肩書きの大前提に『元沢〇〇矢子の夫』という八文字は切っては切れないものとなっているようです。

もし、そのことに一言も触れずにステージを進めようもんなら、お客様全員が消化不良状態・・・挙げ句の果てには『なにスかしてんだアイツ!』的なムードがプンプン漂って参ります(笑)。

私も、ステージでは必ず『あの騒動が有ったからこそ、今こうして皆様の前で歌を唄ったり、プロレスをやったりすることが出来てます。あの騒動がなかったらただ東宝の一サラリーマンとして、今頃銀座で左うちわでお酒を飲んでいたかも知れませんね。そんな意味においても今は沢〇さんには心から感謝をしております。』と一言言うようにしています。

奇しくも、沢〇〇矢子さんがホテルオークラで現社民党党首でもある福島瑞穂弁護士を伴って、金屏風の前で奇襲攻撃の記者会見を行ったのが1998年1月18日・・・つまり、翌日の今日の朝から、私はワイドショーを始めとした各芸能マスコミで『日本一の最低男と』レッテルを貼られて全国に名を馳せることになったのです(笑)。

あれから19年が過ぎたなんて、自分的にはまるで夢のようです。

今さら事実関係がどうだったこうだったなんて子供じみたことを論ずる気は毛頭ありません。

ただ一つ言えることは、無一文のローソク生活を始め、色んなどん底を経験させて頂いた私ですが、失ったものも確かに多かったけれど、他の人が経験出来ない経験から得たものもたくさん有ったということです。

すべてがマイナスからのスタートだったので、気負うことなく、目の前にあることをひたすら一生懸命やらせて頂くことが私に課せられたただ一つの使命でした。

結果、大好きだったプロレスや歌の仕事に就くことが出来て、皆様とご縁を結ばせて頂けたのが私にとって何よりの財産です。

周囲から見れば波乱万丈な人生かも知れませんが、自分的には『瓢箪から駒』的な素晴らしい人生だと常々思っております。

パールハーバーだって今では立派な観光名所・・・と、風邪の熱にうなされながら詰まらぬことをだらだら書き連ねてしまいましたが、明日にはきっと快復してジムで汗を流したいと思っております(^-^)

以上


あの日から20年経ったなんて、まるで夢のようです(笑)