大切にされる女性になるために、自分を大切にして生きる方法〜あなたの原石をダイヤモンドに!〜【名古屋岐阜】

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自信がなく目立たないように生きてきた、周りのためにと無理して頑張りすぎてきた自分から、自分を大切にして自分を生かす人生へ。











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15年間の私の学びのストーリー④。
整理して、言葉にしてみました。


私、誰にも求められてないのに
ただただ、自分1人で無理してたんだな。


幸せになりたかっただけなのに
どうしてもうまくいかなかった。


今でもやっぱり
「子育て」への後悔は大きい。


そこに触れられると、
まだまだ心が反応しちゃうのね。
 


+。:.゚:.。+゚+。:.゚:.。+゚


夫は本当に起きれない人で

必ず私が起こしてた。

でも、起こしても起きない。



保育園の運動会の日も、そうだった。



前の日から、

1人でビデオやカメラの準備をして

当日の朝。


起こしても起きない。

そして逆ギレ

結局その日、運動会には顔を出さなかったっけ。



とっても寂しい思いをしたの覚えてます。




私はずっと、普通の幸せに憧れてた。

そして、親に喜んでもらえるような結婚、家庭生活がしたかった。



結婚式を挙げて、新婚旅行に行って

2人の新居を0からスタートして


夫は会社員で

2回のボーナスがあって

安定した収入があって


大きな車があって

家を建てて


時々は家族で旅行に行ったりして。


そんな、

大半の人が歩むであろう

結婚後の生活、主婦になることを

夢見ていました。




私は、いつも

周りの人を羨ましいって思ってた。



夫がなんの仕事をしているか、も

あまり言えなかった。



独身の友人たちも羨ましかった。



だけど、誰に何の弱音を吐いたらいいのかも

わからなかった。



いや、何よりも

私自身が「つらい」ということを

認めたくなかったのかもしれない。



私より大変な人もいる。

まだまだ頑張れる。



いやいや、もしかしたら

ただ自分が周りによく思われたい

幸せだと思われたいっていう

下らないプライドだったのかもしれない。




そして、考え方を変えよう!

今の環境でやれることをやってみよう!

と思って、教員になることを決めた。



職場では職場で

非常勤講師という肩身の狭い立場ではなく

もっと一人前だと認められる立場で

堂々と働きたい思いもあった。




そして、

夫婦の働き方を変えた。



好きな仕事をして、収入も安定した。

それが私の心に少し余裕を作ってくれた。



おかずは毎日夕方、母が届けてくれた。



何も家のことをしなかった夫が、

ご飯を炊いて食器を洗うようになり



実家の両親や妹も協力してくれたから、

教員の仕事に専念できた。



ただ、元々家のことも子どものことも

何もしない人だったから

子育てや家事をカバーしてくれるか

といったらそうでもなくて。



やりたいけどできないことも増え

器用にできないことも増え


ストレスも溜まっていった





そして、やっぱり田舎の人の見方って古い。



「母親が子どもを育てる」

そういう価値観なのだ。

学校も、周りの親も。



次男が小1の時。

彼はちょっと落ち着きがない子で

意外に自己肯定感も低く、感受性が強い。


学童保育でも、学校でも

トラブルが続いた。



「こんな子は初めてです」と

校長先生に言われて


「お母さんが忙しいから、

子どもが寂しい思いをして、

だから子どもが落ち着かない」と。



ショックだった。

じゃあ私はどうしたらいいんだ。

一生懸命頑張ってるのに。



決して

子育てに手を抜いているわけ

じゃない!!!!!





周りのお母さんも

「学校の先生なんだね✨すごいね」

って言いながら、

対応はやっぱりお母さんが当たり前。


ミスをすれば責められるし

子どもがトラブルを起こせば色々言われる。



夫がちょっと協力的な様子に見えるだけで

「旦那さん優しいねー。すごいねー。」

って。



なんかずるいな、悔しいなって

思ってた。




教員3年目の冬

仕事はすごく楽しかったはずなのに



何も楽しいと思えなくなり

小さなミスや、思考停止する時間が増え

パニックでわーっと感情が高ぶることも増え

(仕事ではそんなことはなかったけど、家で)



ちょっとおかしいかもと思って

心療内科に行ったら

「鬱だね」って言われました。




心身ともに限界だったのかな。


そこから少しずつ、

自分を大切にしないと。って

自分と向き合うようになりました。



今から、4年前のことです。



昨日は、長男が夢に出てきました。



私の中では、あの子を大切に育ててきたことと

育児だけに時間を注げなかった後悔があって



それがまた今

自分の気持ちを苦しめているんだな。



切り替えて前を向くには

もう少し時間がかかりそう。



さて、
15年間の私の学びのストーリー③です。
感謝して手放して、次に進むために。


整理して、言葉にしてみました。
続きをどうぞ。


+。:.゚:.。+゚+。:.゚:.。+゚



裁縫や編み物が得意で大好きだった私。



長男が生まれるまでに

おくるみや服、小物をいろいろ編みました。

ホントはそうやってのんびりと

育児や家事に没頭したかったなぁ。




長男が生まれて

夫は夕方出かけて朝帰ってくる生活。

昼間はずっと寝ている。

そんな生活。



夜、子どもを預けて出かけることもできず

いつも子連れで動いていました。



自転車に乗せて。

スリングで抱いて。



子連れでゴスペルを始めたのもこの頃。





そして、長男が1歳になり

非常勤講師として働いてすぐ。



すぐに2人目を妊娠しました。



その頃、

夫もやっと仕事が辞められることになって


その後の就職を考えて、私の実家のある

岐阜へ戻ることに決めました。




それまでに定期的に

岐阜に帰って来ていたタイミングで

こっちの家も、私と母で探して、

契約まで進めました。



そして、引越し。


臨月になったタイミングで

私だけが先に岐阜へ来て

新居の準備をすすめました。




年が明けて、出産。


助産院で、長男と私の妹が

立ちあってくれたこと

今でも覚えています。




夫は、次男を出産した翌日に

もう住めるようになっていた家に

やってきました。




新しい仕事を探す




そういって、気付けば3ヶ月。

(私もこの頃のことをあまり覚えていません。)



なかなか見つからないからとりあえず

といって働き始めたのが、

パチンコ屋さんのアルバイトでした。



そして当然、金銭的にも厳しかったので

産後すぐから

近所の塾で講師をさせてもらった私。



そしてその翌年には、

次男も1歳になったので保育園に預けて、

また非常勤講師として働きました。



地元を離れて岐阜に来てくれた夫に気を遣い

そして借金や夫の仕事がひと段落して


産後のメンタルバランスもあり、産後鬱に




あの頃、両親は本気で

私を引き取ることを考えたそうです。


そのくらいおかしかったのかな。

自分でも普通じゃなかったなーって思うけど。




メンタルが不調なので、

感情の波も激しくて


そんな私はついつい

夫の感情を煽ってしまい、

首元を掴まれたり馬乗りになって

殴られそうになったり



そこからもう夫のことが怖くなってしまって

目を合わせることもできなくなってしまいました。



あの頃は、自分自身も、

立ち上げたゴスペルグループの人間関係で

かなり悩んだりして、

精神的に苦しかった時期だったかな。




子どもたちが小学生になる頃には

少し生活にも余裕が出てきました。



夫は変わらずパチンコ屋のアルバイト。

月に手取りで20万くらい。



「このままの夫婦の収入で、この先いいのかな」

と考えた私は


自分自身も担任持って

教員をやりたい思いもあったので

教員採用試験を受けることに。




夫婦の形を変えていこう。

私が収入の柱になり、

夫が子育てに合わせる形にしていこうと

話し合って決めました。




育児の合間に勉強時間を捻出。

そして、一発合格を果たしました。






さて、この辺で続きは次に。



+:.:.++:.:.+



ここまで読んで思う人もいるでしょう。

書いてる私もちょっと不快になってきた。



結局、全部私が選んで

私が引き起こしていることなんです。

私の責任。



そこらへんの気づきも、今後

お伝えしていきますね。



クリスマス終わっちゃいました。



ついつい過去を思い出してしまう

そんなクリスマスになっちゃいました。




さて、
15年間の私の学びのストーリー②です。
感謝して手放して、次に進むために。


整理して、言葉にしてみました。
続きをどうぞ。


+。:.゚:.。+゚+。:.゚:.。+゚


「結婚式なんてしたくないからやらない」と言う夫。


私は本当は、お互いの家族や仕事の人たちや大切な人たちに祝福されて

披露宴をやりたかった。



せめて写真くらいは

親同士の顔合わせくらいはと言う両親。



私の両親は、結婚を反対されて

結婚式をキャンセルしなきゃならなくなって

できなかったんだよね。




そして、

式場を回り、契約して、打ち合わせした。

わたし1人で。



当時、車を持っていなかったので

妊婦だけど原付に乗って移動していました。



夫が登場したのは自分の衣装合わせと…、


あとは当日だけでした。




当日も体調が悪いって

途中から抜けて、ずっと朝まで

ホテルで寝てたっけ。




夫の仕事は夜。

休みもない上に、

月給は少ないときなんかは13万。



2万も回せない食費で

安売り肉を小分け冷凍して

もやしや豆腐でかさ増しして


なんてやってたなぁ。




ケンカしたら1週間くらい帰ってこないし、

お店で寝ちゃったって言って

音信不通になることも多々




そして、私が1人暮らししていた

繁華街近くの部屋ではなくて



子どもが生まれるから

もっと子育てに適した環境をと考え


引越しをすることになりました。




また、これも夫は

その必要性を感じていなかったのか




家探しも私が1人で回り、契約。



そして、

すべての手配を済ませて引越し当日。



その日も店で寝ちゃったのか

帰ってこない。電話に出ない。





仕方ないので、私の母と2人で引越し作業




またかって

さすがにこのときは切なかったな。




夫はその翌日

「住所はどこ?」と言い

住める状態になった家に

のんきに帰ってきました。




そして、さすがに妊娠8ヶ月くらいになり

原付もお腹に響くようになったから

乗るのをやめました。笑




長男が生まれても夫は変わらない。

まさにワンオペ育児ってやつ。



お金もないから夜も働いたりして

なんとか生活もつないでた。



うんちのオムツは変えたがらないし。

赤ちゃんは何考えてるかわかんないし。

って抱きもしない。




全然、一緒に育ててるなって実感は

なかったな。




でも。男の人の方が、親になるのに

時間かかるって言うしね。

仕方ないよな、、、

って


そう思っていました。




そして、

子どもが1歳になり。



私も社会に出て、

資格を活かして働いてみよう。



そう思い、保育園に預けて

非常勤講師として働くことになりました。





長くなっちゃったので、次に続きます。