우리는 행복예요.(我々は幸せです)
平壌を歩いているとこういうスローガンを見る。ぼくは立ち止まり、首を傾げてしまう。
普段「私は幸せです」「私は恵まれています」そういうことを何の衒いもなく言う人を見ると扱いに困る。こいつ何か怪しい宗教に入っていないか?この人どうかしちゃったんじゃないか?ぼくは試されているのじゃないか?などと思うのだ。
あるいはこの人努力を諦めたのか。と問われる気がする。
いやいやいや、我々が幸せですって何ですか。ウソでしょ?経済や食糧事情はどうなってるんですか?などとツッコミたくもなる。
そこで「そうですか。よかったですね。ぼくも幸せなんですよ」とにっこり笑うことは出来ない。
なので、ぼくはあいまいな表情を浮かべる。ぼくは現状に甘んじているわけではないし、怪しい宗教には入っていない。いや、おまえ幸せじゃないじゃんなどと否定するわけにもいかない。
その上で、ぼくは妻との会話や生活に幸せを感じるのだ。それを認めないといけない。これが目下の課題なのだ。
他人の小さな幸せが気になる。正直に言うなら羨む。不愉快になる。場合によっては不幸を祈ることさえする。
その醜さが嫌いなのだ。
そうか。君は幸せなのか。ぼくも幸せなんだよ。そういえない自分がいる。何に幸福を感じるかは個人によって違う。幸せの種類は違うけど、お互いハッピーだよねと笑い合えることが出来たら。
幸せになる方法について書かれた本はあまたあるが、既に金の匙を咥えて、すごろくでいう”アガリ”のマスに止まった時の振る舞い方がわからない。その幸せが落ち着かない。
笑えばいいと思うよ。碇シンジくんのことばに従ってみるか。