我々は幸せです。 | 38度線の北側でのできごと

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38度線の北側の国でのお話を書きます

 우리는 행복예요.(我々は幸せです)

 平壌を歩いているとこういうスローガンを見る。ぼくは立ち止まり、首を傾げてしまう。

 

 普段「私は幸せです」「私は恵まれています」そういうことを何の衒いもなく言う人を見ると扱いに困る。こいつ何か怪しい宗教に入っていないか?この人どうかしちゃったんじゃないか?ぼくは試されているのじゃないか?などと思うのだ。

 

 あるいはこの人努力を諦めたのか。と問われる気がする。

 

 いやいやいや、我々が幸せですって何ですか。ウソでしょ?経済や食糧事情はどうなってるんですか?などとツッコミたくもなる。

 

 そこで「そうですか。よかったですね。ぼくも幸せなんですよ」とにっこり笑うことは出来ない。

 

 なので、ぼくはあいまいな表情を浮かべる。ぼくは現状に甘んじているわけではないし、怪しい宗教には入っていない。いや、おまえ幸せじゃないじゃんなどと否定するわけにもいかない。

 

 その上で、ぼくは妻との会話や生活に幸せを感じるのだ。それを認めないといけない。これが目下の課題なのだ。

 

 他人の小さな幸せが気になる。正直に言うなら羨む。不愉快になる。場合によっては不幸を祈ることさえする。

 

 その醜さが嫌いなのだ。

 

 そうか。君は幸せなのか。ぼくも幸せなんだよ。そういえない自分がいる。何に幸福を感じるかは個人によって違う。幸せの種類は違うけど、お互いハッピーだよねと笑い合えることが出来たら。

 

 幸せになる方法について書かれた本はあまたあるが、既に金の匙を咥えて、すごろくでいう”アガリ”のマスに止まった時の振る舞い方がわからない。その幸せが落ち着かない。

 

 笑えばいいと思うよ。碇シンジくんのことばに従ってみるか。