時速60キロの逃避行 | 38度線の北側でのできごと

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38度線の北側の国でのお話を書きます

 20歳のころのぼくはどこにでも行けた。免許を取ってすぐ中古のスクーターを買った。身体が小さかったからその加速力は群を抜いていて、一気に60キロまで加速したものだ。

 

 結局23歳の時に原付を手放すのだが、バイクに乗って湘南の海にも行ったし、暇さえあればどこかへ走っていた。

 

 10万円の給付金で原付に久しぶりに乗ろうか迷っている。朝6時ごろに起きて、ガソリンを満タンにして都心に向かう。いや、深夜がいい。

 

 夜明けの都内をひたすら南下して、歌舞伎町を走り、スクランブル交差点を抜け、東京タワーを見たい。

 

 10万円給付金が貰える話が出て来た。

 

 別に買ってもいいよと妻は言う。そもそも給付金関係なしで買いなよと結婚当初から言ってくれている。ありがたいのだけど躊躇してしまう。

 

 いつか、と言っているうちに時間だけが過ぎて行くのはわかっている。原付に乗ってぼくは遠くに行きたいのだが、本当はそれだけでない。今の生活からの逃避を暗に考えているのではないかと自分を疑っているのだ。

 

 いつか原付に乗って、今の生活も仕事も捨てて、自分がどこかに行ってしまうような気がしてならない。つげ義春の漫画ではないが、いつかひとりでふらりと東北のひなびた温泉街で過ごしたいなどと想像してしまう。宝くじでも当てたら、スマホとパソコンを捨て温泉に浸かりながらあてもなく過ごす。いや、パソコンかタブレットは買って、Netflixで映画を見よう。図書館で本を読んで過ごそう。不惑を過ぎてもそんなことを考えるぼくに原付を与えるのは、筋斗雲を与えるようなことにならないかと思ってしまうのだ。

 

 原付は買わないだろう。買おう買おうと言っている間に時間は過ぎる。もう15年は過ぎた。そしてマンションの駐車場は埋まる。旅に出たい出たいと言っても雑誌を読むだけで疲れて寝てしまう。そんな年齢にぼくもなっているのだ。