歌舞伎町からの引力 | 38度線の北側でのできごと

38度線の北側でのできごと

38度線の北側の国でのお話を書きます

 宿駅東口を出て、百果園の1本100円のパイナップルを吟味し、決まってそこで働くある男の顔の変貌に毎回自分の年齢を重ねる。下り坂を降り立ったところが職安通りの交差点。2人以上で歩いていると居酒屋の客引きが信号待ちを幸い雲霞の如く寄って来る。

 

 幸いぼくが歌舞伎町を訪れる時はきまってひとりで、彼らはぼくを一瞥はするも声はかけない。交差点を渡ると24時間営業の居酒屋がある。社会に出ることが怖いと話していた大学の後輩に、本当に辛かったら会社を休んでこの店で朝からビールを飲もうと誘った。もう20年前の話だ。後輩は結婚し日本を離れ遥かヨーロッパにいる。

 

 横澤夏子がヒステリックに、コミカルに客引きの怖さを訴えている。その横に客引きが立っている矛盾は何度見てもおかしくて、ぼくは誰かを待つふりをしながら横澤夏子のことばをつい最後まで聞く。イヤホンを耳にさして、でも決して音楽は流さないで歩く。コマ劇場は既になく、ゴジラがぼくたちを睥睨していて、この映画館でぼくはひとり深夜2時からシン・ゴジラを見た。寒さと眠気に苛まれながら見るシン・ゴジラと浅い夢が混ざり、傷だらけの8ミリフィルムを見るようにいくつかのシーンは飛んだ。平日深夜の客席はガラガラで、何だかあてのない旅を続けるr大型の宇宙船に乗せられているようだった。

 

 コマ劇場の前にいた殴られ屋もいなくなり、百鬼夜行ということば通りのおかまバーひげガールの一団の練り歩きも見なくなった。肩で風切るヤクザも、中国人のマフィアも少なくなり、辻々に立つ客引きも目を合わさず音楽に没頭しているふりをすればスッと離れて行く。「DVD!DVD!」と唐突に、開発から取り残された一角から怪しい男が飛び出してくることもなくなった。むんっと湿っぽさとかび臭さの混ざったサウナの匂い。凪の塩辛い煮干しラーメン。

 

 猥雑な足を踏み入れるのはもちろん、近づくのも憚られるようなビルが消えてコンビニが出来て、カラオケ屋が出来て、映画館も出来て、今の歌舞伎町はまるで牙を抜かれたようだ。もうすっかり一時期の鋭さと危うさを失っていて、清潔でこざっぱりとした歌舞伎町。けれど薄味になったその猥雑さは外国人を引き付けるにはまだ魅力は十分なようで、メインストリートではゴジラをバックにして記念写真を撮っていた。

 

 風鈴会館1階にある喫茶店でコーヒーを何度か飲んだ。ウェイターというには険のある、過去の影がぴったり貼りついたいかつい顔つきのウェイターがいる。ここで飲むコーヒーは妙にうまい。パンチが効いているのだ。かつて中国人マフィアと日本の暴力団が銃撃戦を繰り広げた喫茶店には、大きな水槽がある。異相とここでしか着ないようなスーツと、ここでしか聞けないようなとげのある会話を聞きながら飲む妙にうまいコーヒー。台湾人の友人が笑っていた。少し離れたテーブルで中国人がねずみ講の勧誘をしているという。

 

 ここから北に抜け、職安通りも渡り、細い路地を通り古井荘という名前の通り古いアパートの横を通り新大久保迄抜けて、韓国料理屋で定食を食べ、山手線に乗って帰った。

 

 渡辺克巳の写真集「新宿」が切り取った風景は、ぼくがこの街を歩き出したころにはもう残照程度にしか残っていなかった。いや、残っていたのかも知れないが、終電の前に帰路のつき酒も飲まず女性と遊ぶ勇気のないぼくにはこの街の深さを味わうことは出来ず、またこれからもそれはないのだろう。

 

 ぼくが見たこの街は、表層でしかなかった。

 

 その街が今、死にかけている。街をあげての浄化作戦で変貌を遂げた街は、不本意なかたちで今、また変貌を遂げようとしている。疫病が去った街を歩いてみたい。そして今も。人通りのない街の姿は、まるで変異を待つさなぎのような姿なのだろう。その横をひたひたと静かに通り過ぎてみたい。今は行けないあの街に、ぎゅんと心惹かれている。