さよなら2019年 | 38度線の北側でのできごと

38度線の北側でのできごと

38度線の北側の国でのお話を書きます

 ょうど1年前のことだ。ぼくの胃は既に限界を訴えていて、健康診断でポリープが発見されたこともあり新年早々ぼくは内視鏡を飲むことが決まっていた。

 

 それから1カ月後、ぼくは転職した。

 

 今年という年はどんな1年だったかというとこの転職に尽きる。新しい職場に慣れることで1年が終わった。何回か社内表彰を受けた。

 

 1月のトークライブ以来、北朝鮮との仕事も付き合いも一気に薄まった。訪朝計画はとん挫し、公安の協力者を見破り、その反動が一気にメンタルに来て、在日コリアンの方から在日朝鮮人社会がイケイケだった70年代、80年代の話を聞くようになった。

 

 編集者とあさま山荘を旅した。雨の軽井沢は7月なのにうすら寒く、霧が立ち込めていた。繁茂する木々の間に帰るような山荘の姿は消えゆく天空の城のようにも見えた。震えながらぼくは編集者とカップヌードルをすすり、往時を想像し、取り繕うようにクレープを食べよもやま話をしながら信越道を走った。

 

 その1か月後に、編集者の依頼で政党要件ギリギリの戦いを続ける社民党の福島みずほ氏を追いかけ、ちょっとした勝ちを誇る国民民主党の党首玉木雄一郎氏に向けてシャッターを切りまくり、短い記事を書いた。

 

 数少ない縁を切った。10年近い付き合いがあった人と疎遠になった。お互いに離れ行く宇宙船のようにどんどんと遠ざかっていった。それを惜しいと思わない自分に少し驚いた。

 

 来年は訪朝したいな。心の故郷に帰らなければ。

 

 不本意な1年は去ろうとしている。未練がましくあと1日残っているが、既にぼくの心は新しいカレンダーの日々に向かっているのだ。