さよなら、おっさん。 | 38度線の北側でのできごと

38度線の北側でのできごと

38度線の北側の国でのお話を書きます

 京北部は東西の交通の流れが細い。バスを乗り継いでN町に向かう。前の同僚であるおっさんを見に行くためだ。

 

 おっさんの社員証を思い出した。社員証に貼られていた写真はまだ覇気があった。目に光があったのだ。直前に長く務めた部署から異動してきた直後のおっさんの表情には、その部署での経歴と自信が映し出されていた。口元も何か企んでいるような、くいっと上がった口角が印象的だった。

 

 ぼくがその会社に入社した時には、その覇気はすっかり失われていた。写真を撮ってまだ3年かそこらだったが、すっかりおっさんの顔は疲れ切っていた。以前は染めていただろう髪は真っ白なまま。しわは深くなり、特に目の下がだるんと垂れていた。写真の顔との差にぼくは驚いた。

 

 性格もひん曲がっていた。何度か意地悪なことを言われた。この人には質問をしたくないと必死に仕事を覚えた。この人に聞くくらいなら、電話を折り返す。それくらいの態度で仕事をしていた。幸いそれをとがめられたことはない。むしろぼくに質問をされないことがおっさんにとってはよかったのかも知れない。

 

 ぼくだけでなく、女性従業員を除くすべての人とおっさんは冷戦を繰り広げていた。誰もがおっさんとは距離を置いていた。昼休みになるとおっさんはスマホにイヤホンを差し込み、時に目をつぶり何かをずっと聴いていた。おっさんの異動が決まった時の送別会はドタキャンした。

 

 その姿は修行をしているようにも見えた。孤独の罪を自分に課しているように見えた。

 

 何度か競馬場に足を運んだことがある。おっさんの横顔を見て、よく似た表情の人がいたことを思い出した。興味半分、ギャンブルよりも雰囲気を楽しむ人たち(JRAのCMに出て来る騒々しい奴らだ)。生活をかけた人たち(塩辛い声で絶叫する)。ホッとした顔の人たち。その中で見たのは、負けることを必然とした人たちだった。覇気がない。勝てそうにないし、実際に勝っている様子もない。しかし律儀に毎レース買う。教会に献金するように。報われぬ神に祈るように。

 

 勝負が終わって、ちらりと馬券を見ると、くしゃくしゃと丸める。パドックに向かうわけでもなく、どこかその眼はぼんやりと宙を見ている。どこにでも行けるのだが、どこにも行けない。日曜日の午後の選択肢を、放棄してしまった人たち。

 

 勝ってやろうというわけでもない。楽しそうでもない。もはやひとつの習慣として、楽しいとかつまらないとかの感情は既に摩耗し超越した、つるつるののっぺりとした何かが、べったりと顔に貼りついていた。

 

 結果的におっさんとぼくは会えなかった。前の会社の同僚に聞くと既に退職したという。年齢は50代半ば。しかし、退職直前に見たおっさんの顔は数年前で既に60歳を超えているように見えた。

 

 東京の東から西へ。同じ道をバスでたどる。数少ないおっさんの会話の中で、大阪に家族がいることを話していたことを思い出した。大阪に帰ったのだろうか。それとも。

 

 おっさんの修行の日々は終わったのだろうか。もう二度と会うことはないけれど、キャリアをゼロにされたあるおっさんの人生模様を、この秋ぼくは追ってみたかったのだ。