人を斬った話 | 38度線の北側でのできごと

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 味が悪い。

 

 人をばっさりと斬ってしまった。物理的ではなく社会的に。つまるところ決別したのだけれど、その人の怪しい誘いを、結果的にぼくは映画「マトリックス」のようにギリギリのところでかわしていたことに今さらながら気付いた。その人の立場からよく見てみると、ぼくは最後の頼みの綱だった気がしてきた。

 

 しかし、余りに稚拙過ぎた。はっきり言ってバレバレだった。それがもともとその人の持つ品性故なのか、焦り故かはわからない。けれどその人の行動は周りにすっかりバレていた。

 

 ぼくはぼくでその人の言動にひやひやしていた。普通コンビでの仕事は、ぼくの方が引っ張っていってもらう立場。ぼくの方がその人を誘導するというのはあべこべで、この人と仕事していて大丈夫なのかなと正直思っていた。

 

 機会こそ奪われたのだけれど、それ以上のネタをもらったのでむしろプラス。

 

 しかし、その人にとってはたまらなかっただろう。

 

 欲しい情報は渡してくれない。

 

 会いたい人には会わせてくれない。

 

 金をちらつかせても頷かない。

 

 ひとことでいうなら使えない。

 

 時代劇の松平健や高橋英樹のようなきれいな太刀捌きなどウソに決まっている。昔の戦なんて、それは刀なんて人ひとり斬ったら、脂でぬるぬるになって刃こぼれして、到底使い物にならないという話にぼくはむしろ頷く。小山ゆうの「あずみ」の描写が実際に近いのだろう。間抜けなへっぴり腰で、型などなく刀をいたずらに振り回した、ぼくの力任せの奇跡の一閃がたぶんその人を斬ったのだろう。

 

 そして斬られた人はあっさり死ぬわけじゃなくて苦悶の表情を浮かべながら、呪詛のことばを吐き出しつつ苦しみながら死んでいく。

 

 その後味の悪さを感じながら、ぼくは生きて行く。「またつまらぬものを斬ってしまった」。ルパン三世の石川五ェ門のようにクールにキメることなんて、出来やしない。

 

 たぶんもう少しの間苦しむ。何事にもやる気が出ない。でもそれが人を斬るということ、決別するということなのだろう。ひとつ人生の深みを覗いた気がする。