転轍機を渡る友人 | 38度線の北側でのできごと

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38度線の北側の国でのお話を書きます

 本的に線路は真っすぐなものだけれど、ダイヤと路線によってはいくつもの転轍機を越えてうねうねと列車が進むことがある。そんな時はぼくは最後尾に立ち、翻弄されるように揺れながら過ぎ去る車窓をぼんやりと、銀色に伸び去って行く2本の線と、ポイントごとに立つ転轍機の姿を見る。

 

 ここ半年ほどで数回、歳下の友人から相次いで人生の転轍機を渡る相談を受けた。ふだんの言動から、ああやっぱりという当ててはいけない予想を当ててしまった罪悪感と、ようやく楽になるんだねという安堵と、どう背中を押すかという逡巡がぐるぐると回る。

 

 じっくり話すならファミレスと店を指定し話を聞いた。仕事終わりからの数時間があっという間に過ぎ、終バスは無くなりぼくは駅からの道を歩く。6月の夜はちょうどいい陽気で運動不足の腿が少し張った。

 

 あるいはすし屋のカウンターで。なぜすし屋のお茶は濃く美味しいのだろう。そんなことを考えながら、ぼくは過ぎ去った15年の時間の重みを感じたりもした。

 

 幸いなのは思った以上に友人たちはからっとしていて、転轍機を渡った、まさに渡ろうとする瞬間にいて、これから遅れてやって来る揺れにもたぶん平気で、足を踏ん張り難なくやり過ごせるであろうという安心を感じた。

 

 だからぼくは心置きなくドリンクバーで何杯かおかわりをし、お造りに箸を伸ばした。

 

 友人たちの前には、まだいくつかの転轍機が見える。Rは思った以上に小さい数値で、通過する際にはがくんと揺れるはずだ。

 

 これからも転轍機を過ぎる度にぼくは友人たちと会う。出来るだけ話しやすくて、美味しいものを出す店。うるさすぎず、転轍機を過ぎる時のガタンという音と、レールの擦れる音。それすら聞き逃さないような店を探さねば。