新婚時代を過ごした街は、自宅から歩いて行ける距離にあって、今も用事があるとその街に出かける。例えば役所の手続きや通院といった、前向きな用事ではないのが少し寂しいけれど。
この街で数年過ごして、隣県にぼくたち夫婦は引っ越しすることになる。この街に住んでいた新婚時代はお金がなかった。近所に破格の値段で食料品を売る店があって、日に数度通うこともあった。店の主人は事故でもしたのか何本か指が欠けていた。器用に小銭を受け取り、ビニール袋を繰る様を無遠慮にぼくは見ていた。
この街にはスーパーマーケットがいっぱいあって、夜遅くに行くと総菜が安くなる。夕飯を食べてからよく買いに行った。
明日食べるものがなかったり、電気代やガス代、家賃が払えないほど貧しくはなかったけれど、つつましい生活だった。貧しさへの恐れはなかったけれどあの頃の暮らしは清貧だったと言っていいと思う。あれから15年経ったけれど余り生活レベルは変わらない。
アパートの目の前にとんかつ屋さんがあって、月曜日になるとメンチカツとクリームコロッケが割引になった。電話をして18時半に取りに行って毎週のように食べていた。時々、罪滅ぼしと主人への感謝を込めてひれかつを食べた。
ひれかつは柔らかかった。そのころからロースは避けていた。
久しぶりに夫婦でひれかつを食べに行った。
その店が閉店するという。夫婦で待ち合わせて、店に入る。主人は少し白髪が増え、ひげも白くなっていたけれど、以前と余り雰囲気も変わらずそのままにいた。
ひれかつを食べ、店を出る間際に主人とことばを交わした。主人はぼくたち夫婦のことを覚えていた。
ぼくたちが住んでいたアパートの1階にあった学習塾は整骨院に変わっていて、他にもいくつもの店が整骨院や整体に代わっていた。年寄りが増えたからかなぁと妻が呟く。北朝鮮の写真を大量に現像に出した写真屋も、妻がファミコンの中古カセットを買って来た店も、マンガ喫茶も、気がつけば新婚のころあの街にあった店はみんな無くなっていて、指の欠けた主人が働いていた店ももうない。
アパートの住人であったぼくたちが入れ替わったように店も入れ替わっていて、余り変わり映えのないように見える街も少なからず変貌していた。
歩いていける距離にあるのに。
あの時、あの店で働いていた人たちは今も元気なのだろうか。そうであって欲しいと思う。