令和が始まった。平成を置いてきた。 | 38度線の北側でのできごと

38度線の北側でのできごと

38度線の北側の国でのお話を書きます

 成最後の日は妻と山陰を旅していた。乗る予定の飛行機が機材トラブルで急に飛ばなくなり、ぼくと妻は豊岡から伊丹まで鉄道で向かうことになった。福知山まで乗った2両編成の普通電車は、駅の数の割に停車時間が長く、平成最後の日という記念日から切り離されたようなのんびりとした旅をぼくたちは続けていた。

 

 翌日はふたりとも出勤で、そしてぼくの腰は既に鈍い痛みを発し始めていて、明日の仕事の大変さが十分に予想できた。思えば妻との旅はいつもこんなことばかりで、佐渡では船が止まり一泊する羽目になり、おととしは函館で飛行機が飛び立たず帰京が大幅に遅れた。そのおかげで花火大会を半分だけだが堪能することが出来た。そういえば、妻は今年の北海道の出張でも飛行機が止まり、日帰りの予定のはずが一泊を余儀なくされていた。大殺界だからねと妻は笑っていたけど。

 

 何か起こるが決して致命的なことにはならない。そこがいいところ。西村京太郎のミステリー小説並みではあるけれど、何とか綱渡りで伊丹で帰りの飛行機に乗り、予定通り羽田に着けることがわかった。

 

 平成があと6時間ほどで終わるころだった。ふと思った。

 

 平成の後始末をつけないと。

 

 呟きにも似た思い付きだった。Facebookを退会することにした。約7、8年?もっと短いのかな。たぶんヘビーユーザーに属すると思う。月に均せば1日1回くらいは更新していたと思うから。

 

 いつのころからかタイムラインからは知りたい人の消息が消え、見たくない書き込みばかりが増えて行った。自戒を込めて言うなら、大海に浮かびながら「自分は!」「自分が!」と叫ぶような書き込みばかり。政治的な、自分を売り込む内容ばかりというか。テレビのCMと番組の時間がひっくり返ったような、あるいは番宣ばかりの朝のニュース番組というか。

  

 平成と共に、そんなものたちと手を切ろうとその瞬間思ったんだ。

 

 操作は意外に単純で簡単だった。いくつかのタップ作業でぼくのアカウントと数年間の平成の記録は消えた。ぷっつりと。あっさりと。

 

 電車を途中駅で切り離すように時間は進む。ぼくたちの乗る普通電車は福知山にようやく到着しようとしていた。ここから宝塚まで特急電車に乗り換えなければならない。空いた時間で何か食べものを買わないといけない。日々の暮らしは、こんなちまちまと地道なことのくり返しだ。

 

 飛行機は低気圧の中を揺れながら飛び、羽田に着いた数時間後自宅に帰り、令和が始まった。その瞬間、ぼくはたぶん夢の中にいた。歴史の転換点の瞬間、やっぱりぼくはどこかあいまいで、宙に浮いていた。こういったイベントごとには置いてきぼりにされるか、あるいはその輪の外にいる。
 

 令和は始まった。狂騒からも距離を置き、日常の枠を少し飛び出した楽しめる程度の、小さなハプニングと共に。

 

 こんにちは令和。さよなら平成。