不思議な、けれど長い休日。 | 38度線の北側でのできごと

38度線の北側でのできごと

38度線の北側の国でのお話を書きます

 時ごろに目を覚まし、のろのろと準備をして講演の写真資料を撮影しに行く。小田急にはいつの間にか快速急行などというものが出来ていて、下北沢を出た電車は敢然と加速して、あっという間に目的の駅に着いた。

 

 数枚の写真を撮りそそくさと去る。駅の南側は夜の繁華街なのだろうけれどすっかり寂れていて、すき間だらけのビルの看板を見て、夜になっても余り心躍らないというかむしろ、数少ない酔客が徹底的に毟られるざわざわと嫌な予感がした。

 

 再び小田急で東京に戻る。代々木上原で降りてモスク、東京ジャーミイに向かう。

 

 門をくぐる。靴を脱ぎ静かに祈る。ぼくはイスラム教徒ではないがここ数カ月、心に積もったざわざわとした出来事を呟き、心の荷を解いていく。ステンドグラス越しに飛び込む光。鮮やかな青。きめ細かな模様。東南アジア圏から来た教徒たちが何かを話していた。

 

 

 

 さらに東京の端に移動して性別も立場も年齢も違う不思議な友人と話しこむ。コーヒーとタコせんべい、シュークリームを食べながら。この一年間お互いの心の底にたまった辛くて重い黒い油のような塊を吐き出し、あるいは最近お互いに起こった喜ばしい近況を行きつ戻りつしながら話す。

 

 

 もしかするとお互いにこの一年は低調だったのかも知れない。お互いに大きな転機と悲しい出来事、不本意な出来事があった。静かなふたりだけの忘年会。テレビからは北朝鮮の漁船のニュースが流れていた。友人と深くため息を吐く。北海道は白い雪が舞っていた。東京では葉はまだ全て落ちず、まるで黄色い炎のようにイチョウの木はそびえ立っているけれどもう冬。

 

 家に向かう電車に乗った時には夜7時を過ぎていた。4時間近く話し込んでいた。不思議な、けれど長い休日だった。

 

 例えばクラーナッハの絵画を見て知ったかぶりして、ふんふんと頷いてみたり、コルビジェのピロティの特徴的な建築物を見る。郊外まで電車に乗り仕事のための写真を撮り、電車の中では恩師の書いた小難しい新書を読み相変わらずさっぱりわからんと小さくため息を吐く。

 

 電車の窓から見て気になっていたモスクに入り静かに祈り、コーヒーとお菓子を飲みながら友人と数時間話す。

 

 40歳を過ぎたぼくの休日(少し仕事もしたけれど)。明と暗。静と動。目まぐるしくスイッチが入切された一日。

 

 高校生のころには想像できなかった休日。ぼくの知る限り、逃げ込む場所、例えば喫茶店や映画館のような場所はなかった。本当にごく狭い世界の中で、ぼくは必死に息継ぎを何とかするだけのような毎日を過ごしていた。

 もし、タイムマシンのようなものがあるなら。あるいは、何かひとこと電話で、昔のぼくに伝えることが出来るのなら。

  

 

 40歳を過ぎた君は、イスラム教徒でもないのになぜか休日にモスクで祈り、性別も立場も年齢も全然違う不思議な友人と4時間近く話していたよ。

 

 たぶん、昔のぼくは首を傾げるだろう。けれど、同じぼくだからわかってくれるはずだ。40歳を超えたぼくは思った以上に大人になっていなくて、相変わらず世の中や他人との折り合いや距離感に苦労しているようだけど、なんだか楽しそうな人生を送っているのだろう、と。