38度線の北側でのできごと

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38度線の北側の国でのお話を書きます

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 だめ連のペペ長谷川氏が亡くなってあっという間に時間が過ぎて行ったが、一度だけペペ氏にお目にかかったことがある。

 

 氷河期世代ということばがまだはっきり出ていないころ。自己責任という小泉純一郎のことばに多くの人が酔っていたころだ。

 

 いや、自己責任というのはあんまりだろうよとは思いつつも、ブラック企業で働く中で、すっかり自分は無能で無力であるという劣等感を植え付けられてしまったぼくは違和感と共に生きていた。

 

 この世の中から降りる。今すぐに。今やニートだのフリーターだの氷河期世代だのようやくぼくらの世代が相当の冷や水を相対的に飲まされた世代だということは知っていたが、その違和感を「働かないで生きるには」というタイトルの著書で、勤勉さと努力とは正反対のことばで、時代への違和感へと消極的に立ち向かっただめ連はその嚆矢ではなかったか。

 

 松本哉氏らが高円寺の商店街で何か騒いでいたが、松本氏の展開した素人の乱は全国的な乱にならず、ある媒体で松本氏が共産党を推していることを知り反共スイッチが効き、以来すっかりぼくは縁遠くなってしまった。

 

 外山恒一氏の都知事選の政見放送のインパクトも、今や遠き印象がある。外山氏の我々団の消息もあまり聞こえない。

 

 かくしてぼくは今、高円寺からほど近くの新宿で働いている。

 

 あるシステムのサポート業務をメインでやっているのだが、パートナーのリーダーがぎっくり腰に倒れた。一週間経っても会社に来られない。熱中症に私用で休む日とも出てきて今日は3人。半分の人員で回すことになった。

 

 この一年、このシステムのサポート業務の負担をどう減らすかをずっと考えて来た。まず電話での対応はゼロにして全部メールにした。いったん書いてまとめることで自己解決を促す。敢えてメールにして時間をかける。遅い!待っていられん!と自分でQ&Aを読み始めればこちらの勝ちである。メールでの意味不明な質問と文章は理解せようとせず容赦なく突き返す。多分こうだろうなんて忖度はしない。ちゃんと文章にしてください。意味が分かりませんと打ち捨てる。

 

 こいつら怖い。融通がきかないと思わせたら勝ちである。怒られるから自分で調べる。なんとかすると思えばいいのである。

 

 電話はしない。例え簡単な不明点確認でも。おうかがいの電話をしたらその時点で負けなのである。何かあったら電話で話してくれる。前はそうやってくれたもんね。そんな例外が蟻の一穴になる。そしてひとつ解決したら「ついでに」と質問したくなるのが人情である。

 

 かくして深みにはまる。仕事は減らない。

 

 これを約1年続けた結果。9時始業の9時10分に80%近い業務が終わるようになった。クレームも特にない(聞こえてこないだけかもしれないが)。

 

 働かないで生きるには。これが具現化したのが今である。

 

 今日は同僚に声をかけた。この部屋は暑いので、どんどん涼みに行きましょう。コーヒー飲みに行くもよし、アイスを食べるもよし、休憩室行くのもトイレ行くのも、一応職場がゼロにならないようにだけ気をつけて、のんびりやりましょうと。

 

 それでも仕事は全部片付いた。 

 

 なるべく働かないで一日過ごしましょうと公言して何ら怒られない職場。理想郷を作り上げたことが最近の自慢だったりする。