8月3日に行ってきた。

場所は、通天閣にほど近い西成区萩之茶屋。彼女にゆかりの釜が崎。愛りん地区の立ち飲み屋だ。

新世界までは行っても、それより南にはあまり行かない。
やはり愛りん地区は、とくに目的もなく行くところではないだろう。
僕自身も、飛田には何回か行ったが、愛りん地区には初めてだったように思う。

地下鉄の「動物園前」の駅のもっとも南の出口を出ると、そこは道路沿いに「愛りん会館」を挟むところだった。
土曜日の暑い夏の昼下がり。
あまりたくさんの人は出ていない。
それでも日陰になる店の前には、何人かの人たちがいた。
阪堺電車のわずか2mほどの高架をくぐって西成警察署を目指すと、会場となる立ち飲み屋「難波屋」があった。

表には整理券を配るスタッフと何人かのお客さんがいた。
松本格子戸氏もいてスタッフやお客さんと、雑談していた。
整理券をいただいて、しばらくしていると、なんと牧瀬茜嬢が到着した。
一年ぶりくらいかな。とか、来る時JRを乗り間違えた。とか、たわいもない話を少しして、彼女が場内にはいるのと同時に、少し街を探索することにした。

皆さんは、愛りん地区っていろいろイメージをお持ちかと思う。
僕は、イメージからあまり変わってなかった。
久しぶりに飛田の方にも足を延ばしましたが、さらに寂れるでなく、といってすごくきれいになるでなく、いつでも人というものをすごく感じさせる街のままだった。

あまり時間がなかったので、足早に会場に戻るとちょうど入場が始まるところだった。10番ごとに入れていき、参加費のドリンクを購入し靴袋を受け取り、ブルーシートが敷かれた会場へ入る。
アングラ芝居のような感じだった。
僕も学生のころは、年に一度大学にやってくるテント芝居が好きで、それを思い出した。

狭い場内に80人近く詰め込んで、まずは「谷間の百合」さすらい姉妹の公演だ。
水族館劇場のユニットなのが、実は鏡乃有栖嬢も出演していた。すごくご無沙汰していたので、メンバー紹介まで気づかなかった。
内容は、この世界に身を置くようになった池田和子(一条さゆり)と鏡の中にある内面の一条さゆりと、それを取り巻くストリップに関わる面々の話で、内面的に展開するのも、まさにアングラ芝居的なもの。
個人的には楽しめた。

芝居が1時間ほどあって、それからは休憩をはさんで追悼の会があった。
最初に牧瀬茜嬢が献花と簡単な挨拶を。
劇場が少なくなるなか、お客さんを楽しませたいという気概を持って私たちもストリップを支えていきたい。というような話だった。

次に一色涼太氏の昔のストリップの話や一条さゆり嬢との出会いの話、(2代目を作りたいと許可をもらいに行った話や、東洋ショーで大成功を収めたので、本人を東洋へ招いて2代目に会わせた話、釜が崎でやった告別式当日の話など)が40分ほどあった。
また、この会に合わせて、さゆり嬢が釜が崎の広場で舞(日舞かな)を舞った写真や7日目に摘発を食らったという伝説の引退興行のパンフレット(小冊子で結構立派なものだった。)なんかも持ち込まれて、本当に本人を偲ぶよい語りの時間となった。

最後は渡辺理緒嬢の献上の舞(菩薩舞と小百合嬢ご本人の歌に合わせた舞)を舞って終了した。

この時に元「十三ミュージック」で行う「踊り子伝説」の宣伝もしていた。彼女たちが箱を借りてやる企画らしくカンパを集めていた。僕もいくばくか協力させてもらった。

そして2部は入れ替わり(芝居は2回興行)だったので、お見送りに立っていた茜嬢と言葉を交わし、その場を後にした。

一条さゆり

ストリップにはまっていく中で、一度くらいはその名前を耳にすると思うが、その生き方には深いものがあるように思えた。
それまでは、引退興行に摘発されたことや、実際に懲役を受けたことくらいしか知らなかった。
ゲバ字(学生紛争のとき学生がアジテートを書いた独特な書体の字)の看板の前で踊る写真、学生紛争当時に反権力の象徴みたいに取り上げられたりしたこと、熱き思いとともにその時代を生きてこられた方なんだと感じた。
いろいろ本も出ているようだし、知り合いにも話を聞いてみようと思う。

ストリップってその美しさとか楽しさとか、いろいろ楽しみ方ってあると思うけど、僕は何よりも人の情に訴えるところが強いからストリップから離れられないと思っている。

そんな情の強さを再確認した、暑い釜が崎の夜だった。
ここで言うアングラとは、裏社会の情報を暴くような意味は無い。
そもそもここはアメブロ。
そんな内容を書けば、即刻削除されてしまう。

反体制や反商業主義と言った意味合いが近いであろう。
リーマンショック以来、採算性の低い個人経営の名画座や古書店、レトロ感の残る大衆演劇やストリップの小屋、昔ながらの遊園地が次々失くなっていく。

夜行列車の定期運行も、数年後全廃されるという噂もある。

そんな生き残りに疱く合理主義の流れの中で、時代遅れの自分が去りゆこうとするものを懐かしみ、思い出話を綴っていこうというものである。

そもそも、このアングラファンという語呂が気に入ってつけたタイトルなので、「これがアングラなのか?」などと深く考えず、世間の気忙しさを感じた時、ふと覗いていただければ幸いである。
知人の多くが、ここに参加している。

楽しげであり、ここはそれを許す雰囲気がある。

ただ日記を書くに当たり、自分は自分のこころにあるアングラな物、今斜陽でやがて廃れていくかも知れないものを、話していこうと思う。

いたって不定期かつマイペースに。