珍しく山城鄕士君から電話があった。
ヨット仲間とその家族13人で琵琶湖周航の歌の歌詞の通りに
時計回りで5泊6日のヨットで琵琶湖一周した、とのことである。
『70を過ぎたジジババが良くやるな』
『息子や孫がいるのでのんきなもんだ』
軽いジェラシーを覚えた、俺も京都にいれば参加してたのに・・・残念。
遠い昔を思い出していた、私が宇治にいた時代、琵琶湖の水は汚れていて琵琶湖大橋より南の浜での湖水浴は出来ず、彦根松原、近江舞子、高島萩の浜等に行って水遊びをしていた。
日本の渚百選に指定された『萩の浜』
琵琶湖の歌というと『琵琶湖周航の歌』と誰もが答えるだろう、
そして、私より10歳近く年上の人は『琵琶湖哀歌』と答える人もいると思う。
『琵琶湖周航の歌』は旧制第三高等学校(現京都大学)ボート部の学生が作り、後に寮歌となった学生歌だが、今や滋賀県の≪県歌≫≪県民歌≫と云っても良く、全国的には<青春賛歌>の一つで琵琶湖周囲の名所には必ずその歌碑が建っている。
かっては琵琶湖の女王と称された大型豪華観光船
『玻璃丸』
また、『玻璃丸』という豪華で大きな観光船の船内では『周航の歌』によく似た曲が流されていた。
昭和16年4月、旧制四高(現金沢大)漕艇部の8名と四高卒の京大生3名を含む11名が、瀬田から近江今津にに向かう途中、萩の浜の沖合で比良八荒の風浪により遭難し全員死亡した、という悲惨な事故があり、それを悼んで創られ、東海林太郎・小笠原美都子が唄いヒットした『琵琶湖哀歌』と言う流行歌だと知る。
≪遠くかすむは 彥根城 波に暮れ行く 竹生島
三井の晩鐘 音絶へて 何すゝり泣く 濱千鳥≫
ほぼ同じメロディーなので『盗作だ』と言う人もいるが、琵琶湖周航の歌の原曲は『ひつじ草』なのでどっちもどっちだろう。
友人達と萩の浜へ湖水浴に云ったときの話である、さんざん遊んだ翌朝、朝飯前の散歩で静かな湖畔を歩いていると、浜の片隅に石碑が建っていて、その前にK君が立っていた。
近づいてみるとメモをひろげて小さな声で何か口ずさんでいる。
『四高漕艇班遭難追悼歌 ~思い出づる』という歌だそうだ、旧制四高(現金沢大)漕艇部員ら11名の遭難を悼み1周期の日にここに桜の木を植え、碑を建立し唄った歌で後に漕艇部寮歌として今でも詠い継がれているという。
彼の祖父の従兄弟に当たる人が11人の中にいるという。
「御詠歌みたいだな」と茶化したがしんみりした気持ちになる。
石碑は3m程もある大きなもので『四高桜之碑』とある、裏面には
≪沖の島に春の陽てりと ほのぼのと霞わたれり
岸近くさまよいゆきて 砂にぎり 砂にぎりしめ
夕なみに いまはなき友を偲びぬ≫
と四高漕艇班遭難追悼歌の4番の歌詞が刻まれていた。
琵琶湖と云えば周航の歌が定番、琵琶湖哀歌を知る人は少なく、四高漕艇班遭難追悼歌はさらに少ないだろう。
この三曲は京都-宇治、滋賀-長浜に居を構えた事のある私にとっては思い出深い曲である。
湖に建つ白鬚神社の鳥居
写真は「びわこ高島観光ガイド」「琵琶湖汽船パンフ」から