しょっちゅうヨット遊びをしていたわけでは無い、≪花のチョンガー≫、春は桜、夏は海水浴・湖水浴、秋は紅葉、冬はスキー、そして酒と若さの特権をフルに使い謳歌していた。
「今の自分より一つ上のことをしろ」私が師として(勝手に)仰いでいた先輩が木屋町のスナックでポツンと云った言葉である、以来金の工面には苦労したがそれを実践してきた。
仕事においては「一つ上の仕事をする」は<サラリーマンとして当然と>思っていたが遊びもとなると苦しい、夜の京都での遊びも少なくなる、ヨットの回数も減少していた、当然時間が余る≪reeducation=再度勉強をし直そうと≫某大学の通信課程で2年間学んだ事も金欠病に拍車を掛けた。
この先輩の一言はだらけ切っていた私の精神に太い一本の心棒を入れてくれたのだ、その先輩に対しては今でも師として恩人として敬っている。
伏見中書島、丹波橋、宇治の大久保・黄檗辺りの安酒場でチビリチビリやっていた私は、先輩に連れられ京都の歓楽街に出入りするようになっていた。


そこは今までとは全く違う世界だった、そう言う場所で出会った異業種で働く人たちや経営者や識者との出会いは宝物以上のものとなった。
今、贅沢は出来ないが何ら心配も無くゆったりと老後を送ることが出来ているのもこの頃の体験の結果だと当時出会った先輩諸氏に感謝している。

                                 つづく