9月8日、一年ぶりに浅草の掛かりつけ医の所に行ってきた。
尿検査、体重・血圧測定、胸部X線、心電図、エコーと一通り行い、最後は血液採取で終了である。
体重は一年の間に3.5kg増加していて深刻である、X線、心電図、エコーの診断では異常はなかった、血液検査結果は出ていないが、連絡がないので問題はないのだろう。
この一年、身体に変調は見られず、快食快便が続いていて、月に一度のリモート診断時は世間話で終わっていた。
体重だけは兎に角5kg減を目標にしなければ・・・年寄りのデブはみっともないので頑張ろう。
40年近く身体を診て戴いている医師である、狭山市に引っ越して通院に1時間15分くらいかかるが今も診てモらXTYている。
この一年リモート診療で済ませたが、体調維持のためこれからは月一通院を続けることとしたいが、コロナはどうなるか。
調剤薬局で薬を受け取り鶯谷駅に向かう。
私が住んでいた頃とさほど変わっていない町並に親しみを感じる。


おでん≪大多福≫の所から裏道に入る、≪交番を曲がれば 角の駄菓子屋の向かいは豆腐屋で・・・・≫
すぎもとまさとが謳う『曙橋~路地裏の少年』をつい口ずさんでしまう。


浅草寺から言問通りの北、通商観音裏地域から入谷金杉通りまでの間は生活感漂う昭和の匂いのする趣のある地域である。
テレビのルポ番組では昭和の香りのする町並み、と言って『浅草』『日本橋』『人形町』『本郷』『谷中・根津・千駄木』等がたびたび紹介されているが、「違うな」確かにこれらの街は良い街だとは思うが、所詮飲食街、観光地であって『曙橋~路地裏の少年』で描かれているような普通の街ではないのだ。
私はそんな所より、門口に鉢植えの花木が並ぶ3m程の細い路地裏道、夕方には夕餉の煮物や焼き物、揚げ物の匂いが漂う、そんな街が好きなのだ。


子供の頃三角ベースや相撲、缶蹴りなどをしていた原っぱ、そして駄菓子屋は無くなっているが、この地域には、マンションが建ち、かってのような商店や住宅は減少し、建物も綺麗になっているが、メンコ、ベーゴマ、ビー玉などで遊んでいた路地裏道はまだ当時の幅のまま残っている。
夕方近くになると『風呂行くぞ』『いつまで遊んでんだい』という声で一人・二人と減っていき『ご飯だよ』の声で「またあした」と皆家に帰る、そんな街だった。


あの頃に戻りたい、けど、戻れない、それだけに痕跡を探し「ありがとう」と呟来ながら歩いている。
あの頃はもっと時間は緩やかに流れていたのに、なんでこんなセカセカした街になってしまったのか。
街を歩いていると「子供が伸び伸びと遊べる場所」が本当に少ないな、とおもう。