今年もバルコニーで蝉が息絶えているのを見つけた。
夜はクワガタやコガネムシが光を求めて飛んでくる。
先日はエアコンから水が流れ出し配水チューブからこれらの虫の亡骸が出てきた、水を求めて入り込んだのだろう、この暑さ無理もない、入り込まないように防虫ネットで蓋をした。
ベランダに落ちている蝉の亡骸をボーッと眺めている。


土中から這い出て、大きな声で歌い続け七日経つと死んでいく、哀れと思うか、よく頑張ったと思うかは人それぞれだろう。
小説、映画、ドラマの「八日目の蝉」を思い出していた。

  ※「蝉は生まれてから7日間しかいきれない。でも8日目ま

で生きのこった蝉がいたら、その子はかわいそうだよね。

  仲間はみんな死んでるだもん。」

  ※「『八日目の蟬はかわいそう』って話したけど、実は違う         かもしれない。
     だって他のみんなは八日目の景   色を見れずに死んじ

     ゃうけど、八日目の蟬が見る景色は、すごくきれいで素

     敵なものかもしれないでしょ?」


仲間は皆死んで自分だけ生き残る事は≪幸せ≫なのか、淋しい思いをするのだろうか、ここで息絶えた蝉は<仲間を求めて飛んできた>のだろうか、だとしたら哀しい。
嫌そうじゃない、この蝉は他の蝉たちが見ることが出来なかった八日目の景色を見ることが出来たのだ、その美しさに感動し、心行くまで謳いながら飛び回り、羽をキチンとたたんで静かに息を引き取った、きっと幸せだったのだろう。
俺もコロナなんかに負けず明日以降の未知の世界に期待しながら生きていこうと思うのだが。