暇である、<ならばブログを更新しろ>と思うのだがそれも面倒くさい、熱い熱いとエアコンを効かせ、その下でゴロゴロしている。


愛猫『よもぎ』も呆れているのか、転がっている私をジーッと見つめ、プイッと暖かい部屋に行ったままである。


一人部屋でボーッとしているといろいろなことを思い出す。
≪逃げるな 嘘つくな 数字に強くなれ≫、現役の頃何度聞いたことか、サラリーマンとして必須の事項である、常に自分に言い聞かせながら仕事をしていた。
また、≪知恵を出せ、それが出来ぬ者は汗をかけ、それが出来ぬ者は去れ!≫と土光敏夫氏の言葉をそのままぶつけてくる上司もいたが「知恵やあせを出さなきゃならないのはあんたちだろ』と、受け売り上司たちを馬鹿にしていた。
随分若かったものだ、怖いもの知らずだった、≪努力しろ、努力は必ず報われる≫今でも良く聞く言葉であるが、私はこの言葉も嫌いだった(今でも)。
確かに努力することは無駄なことではないが、この世の中、努力すれば必ず報われるとは限らない、「あんたは努力だけで今の地位についた訳じゃないでしょ」と影では『この金魚の糞め』と毒づいていた。
1960年代後半から70年代前半、高度経済成長期の真っ只中、多くのサラリーマンは家庭やプライベートは二の次でひたすら会社のために尽くしていた、まさに企業戦士、モーレツ社員の時代だった。
同期で入社した連中は東京で活躍しているのにこの俺は、茶畑とこんもりとした御陵の杜が点在する宇治市の片田舎に在する工場で薬品と油にまみれている、≪こんなことでいいのだろうか≫と逡巡する毎日だった。
多分私は焦っていたのだと思う、月に1~2度の東京出張は気が重かった、同期の連中への嫉みもあったのだろう。

黄檗山萬福寺 山門


≪専門馬鹿で終わりたくない、もっと広い分野で動き回りたい≫
どこへもぶつけることが出来ない悶々とした気持ちを抱えながら行くところは「黄檗山萬福寺」の山内であった。

三門から続く石条

正面は天王殿

天王殿に鎮座する

弥勒菩薩の化身と言われる

布袋尊

大雄宝殿の大伽藍に鎮座する

本尊 釈迦如来座像しゃかにょらい

釈迦如来の背後を囲む

18羅漢像

当時週に一度はここに来てなにかを掴もうと

この羅漢様と対座していた

 

この寺院では座禅修行も何度か行った、座禅・作務・法話・写経、特に冬の2泊3日の禅体験は私の精神に何かを植え付けてくれたと思っている。