勧修寺(かじゅうじ)は山科区勧修寺後にあるが、地名の読みは≪かんしゅうじ≫である、
<勧修寺=かじゅうじ>とは読めず、<かんしゅうじさま>と村人達は呼んでいて、寺の周辺を「かんしゅうじさまの東」とか「かんしゅうじ***」等と呼ぶようになったのだろうと思っている。
勧修寺から2km弱内に『醍醐の花見』で有名な世界遺産の≪醍醐寺≫、小野小町ゆかりの≪随心院≫大石内蔵助が隠棲していた≪岩屋寺≫や≪坂上田村麻呂の墓所西野山古墳≫などもあり、歴史好きにはたまらない地域でもある。
        それにしても晴れ男の面目躍如だ
  予報では雨だったがこの天気である

 

だが私はこれらにはよらず5km離れた宇治市との境にある親鸞聖人の生誕地、鴨長明が『方丈記』を著した地でもある山科『日野の里』に向かった。

 法界寺山門

 

『日野の里』は藤原氏の一族である日野氏の領地で当家の氏寺である『真言宗醍醐派別格本山 東光山法界寺』は1051年『伝教大師最澄』創建による古刹である。

法界寺阿弥陀堂

向かって右正面 阿弥陀堂、左は庫裏

山門を抜けると国宝の『阿弥陀堂、堂内には丈六(約5m)の阿弥陀如来座像(国宝)』が優しいお顔で迎えてくれる。

堂内は撮影禁止、阿弥陀如来像の周りには我が国最古の天人の壁画(重文)が描かれているようだが、堂内が暗く、目が悪いためかはっきりと見ることが出来なかった。

法界寺薬師堂

本尊の薬師如来(重文)は薬師堂(重文)に納められていて、残念なことに本尊は秘仏として非公開である。

安産・授乳の御利益があると云われ『日野のお薬師さん』『乳薬師』として広く知られている。

阿弥陀堂からの庭園

山寺の趣

薬師堂前の蓮池

ここの蓮の花は綺麗だ、周囲の環境がそのように見せるのか

浄土真宗の宗祖『親鸞聖人』は法界寺の付近で生誕し、青蓮院に入山するまでの9年間、この日野の里で過ごしている。
  誕生院入り口
  親鸞生誕地の碑


今その生誕地には『誕生院浄土真宗本願寺派(西本願寺)』があり、法界寺との間の保育園の野敷地内に
親鸞「産湯の井戸」とへその緒を納めた「ゑな塚(えなづか)があり、誕生院か法界寺にお願いすれば、見学することが出来たであろうが、私は宇治に住んでいた頃に幾度となくここに来ているので今回はスルーした。
  <写真>方丈石
また、法界寺から1kmほど山に向かって進むと鴨長明が<方丈記>を著した≪方丈(庵)跡≫に行き着くのだが、

鴨長明 方丈石

鴨長明はこの岩の上に方丈を立てたという

本当にここなのだろうか

                この写真は10年前のものです

途中からかなりの悪路名山道になるので、前日までの大雨の影響も考慮し取りやめた。
この場所は私が木幡に住んでいた頃から幾度となく訪れていて、ここから洪水峠から炭山から笠取へ、またあるときは、洪水峠を北に、ユウレイ峠からかみだいごへと、よく歩いたものである『あのとき僕は若かった』。

 
≪行く川のながれは絶えずして、しかも本の水にあらず。
    よどみに浮ぶうたかたは、かつ消えかつ結びて久しくとゞまることなし。世の中にある人とすみかと、またかくの如し。≫

『方丈記』は私が、悩んだり、つらかったり、自信を失いかけたりしたとき、私を扶けてくれた本の中の一冊である、ずいぶんと扶けていただいた。

 

京都に行ってきました  其の4に続く