千住間道を国道四号線に出る。

ぐうたら親父の徒然日記-千住間道


千住間道は、明治通り<荒川区役所>の所から南千住駅を結ぶ都市計画道路である。
この道が出来上がれば大関横丁の混雑も少しは良くなると思うのだが、荒川区役所の所約50m弱の部分が狭いため、この道を利用する車は少ない。
四号線を右折するとすぐ左に金色の大きな観音像をおいたコンクリート造りの大きな建物が見える。


ぐうたら親父の徒然日記-円通寺

           「百観音 円通寺」 本堂にそびえる金色の観音像、高さ12mあるそうだ
何も知らなければ、新興宗教教団の建物かと思うだろうが、この寺は延暦10年(791年)、坂上田村麻呂による開創といわれ、補陀山円通寺と云う曹洞宗の寺院で、江戸時代、下谷の広徳寺、入谷の鬼子母神、三ノ輪の円通寺、を下谷の三寺と呼ばれていた名刹である。
また、秩父・坂東・西国霊場の百体の観音像を安置した観音堂があったことから「百観音」の通称で親しまれているが、観音堂は安政二年(1855)の大地震で倒壊し今は無い。
この寺の一帯を、江戸時代には小塚原と呼んでいたが、源(八幡太郎)義家が奥州平定の際、討ち取った首、48首を境内に埋めて塚を築いたことから、『小塚原』と呼ぶようになったとも云われている。

ぐうたら親父の徒然日記-首塚

                        首塚、七重石塔、鷹見の松
首塚は境内北にあり、塚の上には享保7年(1722年)に建立された七重石塔が建っており、その傍には、三代将軍徳川家光の鷹狩りの際、鷹が観音堂の後の老松に止まったといわれる「鷹見の松」が伸びている。

ぐうたら親父の徒然日記-黒門

                             東叡山寛永寺総門、黒門
しかし、この境内での見どころは、明治維新の「上野戦争」での弾痕が残る東叡山(寛永寺)の「総門」、いわば「聖域上野山の総門」である「黒門」であろう。

ぐうたら親父の徒然日記-黒門弾痕

                       いたるところに銃弾痕が残る黒門
この黒門の中に、上野の山で戦死し、賊軍であるが故に放置されていた彰義隊士を、打ち首覚悟で上野の山で供養していた住職佛磨和尚が、浅草の新門辰五郎・寛永寺御用商人三河屋幸三郎と共に遺体を荼毘に付しここに埋葬し、その後、新政府の許可を得、彰義隊士の墓を建立した。

ぐうたら親父の徒然日記-彰義隊士の墓

                                 彰義隊士の墓
また、彰義隊の供養に尽力した三河屋幸三郎が向島の別荘に秘そかに立てて、鳥羽、伏見、函館、会津などの各藩士の戦死者の氏名を彫って供養をしていた「死節之墓(山岡鉄舟筆)」を彰義隊の墓の隣に移築した。

ぐうたら親父の徒然日記-死節の墓

                       山岡鉄舟の筆による「死節之墓」
この墓誌には土方歳三、近藤勇、など九十七の名前と「神木隊二十八名」と彫ってあるという。

ぐうたら親父の徒然日記-追悼碑群

                       追悼碑群 榎本武揚の碑がある

ぐうたら親父の徒然日記-松平太郎

                    「蝦夷共和国」副総裁 松平太郎による追悼碑
彰義隊士の墓と黒門との間には「大鳥圭介」「榎本武揚」「松平太郎」「高松陵雲」などの追悼碑が並び、その中に「新門辰五郎」「三河屋幸三郎」と当時の住職「佛磨和尚」の碑もある。

ぐうたら親父の徒然日記-新門辰五郎

                         浅草の火消頭、新門辰五郎
ここの境内には鳥羽伏見から函館戦争での徳川方の遺構が多く、その趣は図らずも賊軍とされて冥った哀れさが漂っている。
域内に置かれた石碑を一つ一つ眺めながら「今度は念入りに、吉村昭の彰義隊を読もう」とつぶやく。
『死節之墓』「彰義隊士之墓』に頭を垂れ、域外をでる。
この墓地の外、黒門の横に赤子を抱いた子育て地蔵が建っている。

ぐうたら親父の徒然日記-よしのぶ地蔵

                       子育て地蔵尊・・・吉展地蔵尊
「吉展ちゃん」の冥福を祈って建てられたものである。
この地蔵尊は、映画「一万三千人の容疑者」、テレビドラマ「戦後最大の誘拐 吉展ちゃん事件」や「刑事一代 平塚八兵衛の昭和事件史」にもなった、1963年3月31日に台東区入谷南公園(当時は入谷公園)で起きた「男児誘拐殺人事件」で被害者「吉展ちゃん」の白骨死体が見つかった場所である。

ぐうたら親父の徒然日記-新聞記事

                              当時の新聞記事
私たちがいつも野球をしていた公園で起きた凶悪な大事件、50年たってもあの時受けた衝撃は忘れてない。静かに手を合わす。

静かな境内を後に、国道4号を南に歩く。