◇21日朝、3分間の天体ショー 指折り数え、夢にまで見てきた金環日食の日が近づいてきた。 四国で皆既日食は無論、金環日食が見えるのは前代未聞だと思ってパソコンで検索してみた。100年さかのぼってみたが、高知県上空に金環日食が輝いたという記録は全く見当たらない。ある人は過去900年記録がないという。そして将来100年以上にわたって起こる可能性もない。 1986年はハレー彗星(すいせい)が大接近して学俗界挙げて狂奔した。しかしそれは76年ごとに起こる現象であって、未来に再び見る希望がある。今回の日食は、四国では未来永劫(えいごう)に起こらないかもしれない。そう思うと、この5月21日のわずか3分間の現象がいかに重要な意義を持っているかがわかる。 正に世紀の瞬間である。学者はこの貴重な一瞬を捉えようと万端の準備を整えている。一般でも人気は高まり、あちこちで見知らぬ人から声をかけられ、観測方法について質問される。コンビニやいろいろな店に、日食観測用のめがねがずらりと並べてあるのを見ても、世間で関心が高まっていることがうかがえるのである。 金環日食は5月21日の早朝6時過ぎから始まる。段々と欠けていき、午前7時25分には完全な金色の輪となる。この間太陽の光は強いので、一刻たりとも肉眼で見るのは禁物である。必ず専用の「日食めがね」を使用する。しかし、めがねをかけているからといって10分も20分も連続して見続けることは良くない。完全な日食になるまでは、欠けていく様子を時々観察する程度にするのが安全である。そして金環日食中の3分間を凝視すればよい。 ここで注意しなくてはならないのは、金環日食の起こる時の太陽の位置である。これは早朝の真東の低空であって、高度はわずかに30度である。従って東に山や森、あるいは高い建物のある場所では見えない。事前に、観測する場所に立って太陽の位置を確かめておくと良い。この時も必ず日食用のめがねを使用すること。これは眼鏡に慣れるためにも必要なことである。 われわれの芸西天文台(高知県芸西村)は当日、見晴らしの良い村内の「琴ケ浜」で観測することになっている。講師を5人ほど派遣して、正しい観測法や写真の撮り方を指導する。 浜辺には坂本龍馬の妻お龍とその妹の銅像がある。観測場所は、お龍姉妹の銅像のすぐそばである。普段は寂しく静かな海岸も、当日は多くの人でにぎわい、ただならぬ光景に、お龍もきっと驚くことだろう。 思えば私の天体観測は1948年の日食観測から始まった。その日は今回と同じ5月の晴れた日であった。本舞台は北海道の日本海側に浮かぶ礼文島で起こった金環日食であるが、高知県でも太陽の90%以上が欠ける部分日食として見えたのである。 当時、高校生だった私は校庭でこれを眺めた。地学の先生の指導で観測した。白昼、太陽が暗くなって、あちこちで歓声が挙がった。びっくりしたのは人間ばかりではなく、この突然の森羅万象に、森の小鳥たちも反応して一斉に鳴き始めた。そしてさらに驚いたのは、森の木の間を抜けてきた太陽光線が、地面に無数の複雑な影を落とした。それは日食中の見事な細い三日月状の太陽で、木の葉と共に五月のそよ風に揺れていた。日食中は意外な光景に接することが多い。 こうして日本列島の各地で無事、日食は観測されたのであるが、肝心の金環日食の起こった礼文島には戦後初の金環日食を観測しようと、国内はもとより世界中の天文学者やマスコミが集結して待機していたのである。空は良く晴れ世紀の天体ショーを見るにふさわしい条件であった。 ところがここに重大な事件が起ころうとしていた。それは目に見えぬ暗黒の影として彼らの頭上に覆いかぶさろうとしていたのである。 ☆ ☆ ☆ アマチュア天文家として活躍する関勉さん(81)=高知市上町2=が、星と音楽とともに歩んできた人生をつづります。 ……………………………………………………………………………………………………… ◆略歴 ◇せき・つとむ アマチュア天文家。1930年、高知市に生まれる。20歳のころ、自作の天体望遠鏡で観測を開始。1965年に「池谷・関彗星」を発見し、その名を世界にとどろかせる。これまでに六つの新彗星と約1500の新小惑星を発見。高知県立芸西天文学習館(芸西天文台)を拠点に観測を続けている。2010年、東亜天文学会会長に就任。5月12日朝刊
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