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【ぶらり東海ナビ】 プロレスラーの力道山(大正13~昭和38年)に敗れた柔道王の木村政彦(大正6~平成5年)は長く、格闘技界の歴史の彼方(かなた)にあった。街頭テレビが映し出す昭和29年12月22日の世紀の一戦。敗者の屈辱にまみれた木村の名は輝きを失った。一方、勝者の力道山は、ショービジネスの波に乗り“国民的英雄”に駆け上がった。 中日新聞社(本社・名古屋市)の中日スポーツ総局報道部記者で、作家の増田俊也さん(46)は4月、著書『木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか』(新潮社)で第43回大宅壮一ノンフィクション賞を受賞した。木村を「格闘技界の神」とまであがめる増田さんの手で、木村は半世紀以上失っていた輝きを取り戻した。自身も柔道家の増田さん。受賞作は、取材から約20年間をかけて完成した大作だ。その熱き思いを聞いた。(中部総局 山根忠幸) ■原点に七帝柔道 「たばこ喫(す)えないとインタビュー無理です」と、増田さんは申し訳なさそうに革ジャンのポケットからショートホープを取り出した。 のっけからひっくり返りそうになった。素直というか。「今どきたばこかい」と思うが、私の手にはマイルドセブン。想像していた柔道家のゴツゴツとしたイメージを見事なまでに覆してくれた。第一印象はシャイな人柄。だが、青春時代はタフガイ(男を磨く)でありたいと目標を定めた熱血漢だ。 増田さんが提供してくれた別掲の写真(北海道大柔道部3年時代)を見てほしい。シャイな中年の現在の印象とは大違い。この増田さんの容貌の変化こそが、取材から筆を置くまで、約20年間をかけた受賞作の自身への問いかけと心のありようを物語っている。 増田さんは、北大柔道部で男を磨き、生き方を学んだ。大げさではない。「格闘技は、体をぶつけ純粋に力を競う。北大は、戦前の寝技中心の高専柔道の流れをくむ七帝柔道」という。講道館柔道とは違う。「15人の団体戦で激しくぶつかり合う総力戦。練習量は格段に多く、極限まで行うことで、自分の弱さまでさらけ出す。そこに、絆が生まれ、友情が芽生える」と熱く語る。 先の写真の背景は、北大柔道部でどっぷりと漬かった極端に男臭い世界だ。それが、ファインダーに映し出された。増田さんは、4年生で最後の七帝戦を終え部を引退。そくざに大学に中退届を出してキャンパスを去った。だから北大柔道部卒で「柔道とは老子の思想。強くて堅いものよりも、弱くて柔らかいものを上とする」を修めた。柔道衣は、地元愛知の県立旭丘高時代には身につけていた。青春を柔道にささげ尽くした。この一本気な性格が、約20年を費やした受賞作につながり、不敗の柔道王木村を復権させる。 ■たどり着いた“赦” 「木村先生の無念を晴らしたい一心」と27歳で取材活動を始めた。プロレスはショーだ。だから、当然にシナリオはある。世紀の一戦は引き分けのはずだった。だが“裏切った”力道山の前に、木村は実力を発揮することなくマットに沈んだ。木村は、刃物を持ち歩き力道山を狙った。「木村先生の怨念や恨みが、あまりに悲しくて」と書き続けた。それが執筆の原動力だった。「木村先生のために」と数え切れないほど多くの関係者に会った。「取材では、懐に飛び込んでど真ん中の直球しか投げない。カーブやスライダーでは誠意が通じない」と胸襟(きょうきん)を開き、いちずに木村の無念を訴えた。 増田さんは46歳となった。書き終えて自身が到達した境地は「赦(ゆるし)」だという。「恨み、憎しみ続けてきても、ある日、恩赦で赦される。“赦”がなければ、憎しみの連鎖は止まらない」。受賞作は四六判変型で、上下2段702ページの労作。その核心は「685ページ」と一言。初めて本を手にしたなら、このページをめくり、書き出しに戻ると読後感が広がるかもしれない。 増田さんは話す。 「読者のブログに『木村先生は生きていてよかった。勝ったのだ。死んで20年経って分厚いラブレターをもらった』とつづられていた。読者の間で恨みから“赦”の連鎖ができたと思った。ブログを見て泣いた」。受賞発表でも涙を浮かべたが「うーん、みんなの思いを背負っていたから」と重圧と安堵(あんど)の複雑な思いがあった。 受賞作の書名は『木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか』と問いかけているが「(書き始めた)若いときはその答えが出ていたが、46歳となった僕には出せなくなった。未来永劫(えいごう)に問いかける。読者には、答えを出せなかったから評価されたのかも」に続け「今の時代、安直に答えを出しすぎる」とする。 ■根底はスペンサー 愛読書は、米国作家のロバート・B・パーカー(1932~2010年)の人気小説「スペンサーシリーズ」という。「中学生から読んでいた。(その影響などで)強くなりたいと高1で柔道を始めた」と自他ともに認めるスペンサーファンだ。 小説の主人公スペンサーは、元プロボクサーの私立探偵でタフガイ。いや、理想のタフガイを真摯(しんし)に目指し、芸術や文学などの深い知識を持っている一方、アイロニーの効いたウイットを駆使する。互いを“男”として認める闇社会の用心棒、暗殺者のホークと物語を織りなすシリーズだ。2人は男を磨いたタフガイだが、スペンサーは悩み、ホークに迷いはなく、常に答えが分かっている。表裏一体の関係だ。 「七帝柔道は肉体だけを鍛える単純なものではない。ボクサーでもあったスペンサーは、体を鍛える。だが、心に“ゆらぎ”がある。哲学書などいろんな本を読んで、答えを探している。シリーズのスペンサーは40歳前後と思う。若いころはスペンサーのゆらぎが分からなかった。同世代となって、やはり自分も悩んでいる」と多弁となる増田さん。 「スペンサーは『自分でも分からない』とよくいう。ホークには、分かっている。確信があり、悩みはない。木村先生、力道山ともにスペンサータイプと思う」と受賞作に重ね合わせる。そのうえで「(受賞作は)最初は木村先生側だったが、(長年にわたって取材、執筆して)次第に力道山にシンパシーを感じていた」と振り返る。 柔道に没頭した青春時代の増田さんの生き方は、スペンサーが追求するタフガイ(男を磨く)に強く影響を受けただろう。 スペンサーは「ブルックス・ブラザーズ」のブレザーを愛用した。増田さんは、米国から直輸入してやはり着こなしている。しかも、スペンサーのサイズに合わせて自らの体形を維持しているというから、なまじのファンではない。 作家となった動機については「木村先生と七帝柔道の2つは、書かないといけないと若いころから思っていた。書かなければ救われない。書くことで救われる。それが、2つのテーマだ」と説明する。そして「根底はスペンサーシリーズの第7作『初秋』にある。若いころに考えていたほど、生きることは単純明快に答えを出せることではない。人間の強さ、弱さだってさまざまなありようがある。ステレオタイプに決められるほど、簡単ではない」と話す。ちなみに、3部作で執筆中の『七帝柔道記』(第1部)が近く、角川書店から出版される。 ■作家スタイル 「つい、3カ月前、野良ネコのトーマスを家に入れたんです。近所を徘徊(はいかい)しているネコでしたが、ずっと友達。夜、遊んでます」 自身を動物に例えれば「野良イヌ」なのだという。「それでも、北大柔道部の仲間など信じる人は、徹底的に信じる」とやはり柔道が顔をのぞかせる。 身長176センチ、体重82キロの引き締まった体。毎朝、バーベルを持ち上げるベンチプレスやデットリフトなどのウエートトレーニングに汗を流す。20代は筋肉をつけすぎ、服がすぐに着れなくなったが、今は体形維持に重点を置いている。 原稿執筆は夜、パソコンで1日10~20枚分(400字詰原稿用紙換算)という。休日には集中して70~80枚分を仕上げる。パソコンは、アップル社のマッキントッシュ(マック)で「アナログに近い。手で触る感触」と手放せない。現在8台目。 執筆場所などは選ばない。居酒屋で焼酎を飲み、会話しながらでも手はパソコンのキーを叩いている。会話と原稿の2つの成立は至難の業と思うのだが「ブラインドタッチは得意なんです」とこともなげにいう。近所の喫茶店、公園のベンチで寝転びながらもパソコンを打つ。 作品のヒントやアイデアは、どこからでもつかみ取る。地下鉄の車内で、誰かのさりげない動作を見て、手のひらに書き留めることも。「粘土がないと塑像ができないのと同じ。毎日、粘土を集めてきて、頭から出てくる感情、物語をそのまま書いている」 数字には、少しだけこだわりがある。「5と7。7がつく行で終わるとラッキー。5だと、ゴーで前に進める気がする」と繊細さを垣間見せる。 最後に「覚悟」の意味を問うと、間髪を入れず「死」と返ってきた。「死に様は選べそうで選べない。根源的なことを書き、提示するのが作家」ときっぱり。「作品。生と死。愛と赦」が、人生をかけるものという。 【ますだ・としなり】昭和40年愛知県生まれ。県立旭丘高校卒。北海道大学中退。平成4年、中日新聞社に入社し、現在、中日スポーツ総局報道部記者。「シャトゥーン ヒグマの森」で、第5回「このミステリーがすごい!」大賞優秀賞。


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これもいいけど、まだまだいいのがありそうです。