マイケル・スコット、マイク・マークラ、ジョン・スカリー、マイケル・スピンドラー、ギル・アメリオ——。米アップルの共同創業者、スティーブ・ジョブズ氏が最高経営責任者(CEO)に就任する前にCEOを務めていた5人だ。 ジョブズ氏はアップルの経営幹部や主要株主ではあったが、実際にCEOに就任したのは1997年だ。1976年にスティーブ・ウォズニアック氏と共に自宅のガレージで会社を立ち上げたのは有名な話だが、その会社を約11年間離れたのちの出来事だ。ジョブズ氏は1983年、当時ペプシコーラの事業担当社長を務めていたスカリー氏を自らアップルのCEOに引き抜くが、1985年にそのスカリー氏に離反され、会社を追われる。 先週死去したジョブズ氏がアップル史上最も成功したCEOであるのは間違いない。スカリー、スピンドラー、アメリオの3氏の悲惨な業績を考えればなおさらだ。だが、アップル唯一のCEOでなかったのも確かだ。興味深いのは、ジョブズ氏はそもそも経営には関心がないようにみえたことだ。だからこそ彼の後任となった現CEOのティム・クック氏を引き抜いたのだろう。 ジョブズ氏はアップルに復帰し、CEOに就任して間もなくの1998年、混乱していた製造部門の整理と立て直しに向け、ティム・クック氏を業務部門の上級副社長として雇い入れる。1997年度のアップルの業績は、主に生産と流通部門の足並みの乱れが原因で10億ドル(約770億円)を超える赤字となっていた。 クック氏は適任だった。同氏はアラバマ州出身の現在50歳で、オーバーン大学で工学修士を取得後、デューク大学で経営学修士(MBA)を取得した。コンピューターの再販会社に勤めたのち、IBMでパソコンの製造と流通部門の監督役を12年務め、コンパック・コンピューターで短期間サプライチェーン(流通網)の運営手腕を磨いたのちアップルに入社した。 クック氏はアップルの業務部門を単に立て直すだけではなく、全世界の電子機器メーカーがうらやむような状態にまで向上させ、その実績が買われて2007年に最高執行責任者(COO)に昇格する。 クック氏はやがて04年と09年のジョブズ氏の2度の公式な病気療養期間中にCEO代理を任されるようにまでなる。ジョブズ氏の7年間に及ぶ膵臓(すいぞう)がんとの闘病生活の大半において、クック氏は主にアップルのアグレッシブな新製品開発サイクルを予定どおりに進める責任を担ってきた。 米証券会社ニーダム・アンド・カンパニーのハードウエア・セクター・アナリスト、チャールズ・ウルフ氏は「この世にスティーブ・ジョブズ氏の代わりとなる人物などいない」と述べ、「ティム・クック氏はCEOとしては適切な選択だった」と付け加えた。 クック氏のCEOとしての成功の鍵を握るのは、まさにそこだ。すなわち、南部出身の柔らかい物腰の紳士、クック氏が亡き友であり、師でもあるジョブズ氏と何かにつけて比較されることに対して、冷静に対処し、切り抜けられるかどうかだ。アナリストらは「彼はスティーブが成し遂げたことの多くを再現するすべを掌握している。だが、正直に言って両者には夜と昼との違いがある」と話す。 だがそれはクック氏にとって良い事かもしれない。ジョブズ氏の支配から逃れ、アップルの輝かしい企業文化の中核理念から逸脱することなく、自身のリーダーシップスタイルを創造するチャンスにもなるからだ。 アップルは恐らく向こう2年ほどはジョブズ氏が描いた地図に沿って「滑空」できるだろう。だがそれ以降これまでどおりアップルが並外れた業績を達成できるようにするには、クック氏はデザイン責任者のジョナサン・アイブ氏やインターネット部門を統括するエディー・キュー氏、基本ソフト(OS)部門を統括するスコット・フォーストール氏ら経営幹部の豊かな創造力に大きく依存せざるを得ないだろう。 クック氏や株主にとって幸運なことに、アップルは業界でもトップクラスの上級幹部チームを有している。 クック氏がジョブズ氏でないのは確かだ。したがって、クック氏はジョブズ氏になろうとするのではなく、同僚を鼓舞し、彼らに権限を委譲することで彼らがおのずと先見性を発揮できるようにし、1人ですべてを成し得た人物が抜けた穴を今度は幹部全員で埋められるようにしていくことが必要だ。天才はもういないのだから。
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