こんばんは。


かつて大変お世話になった指導者が
講義の際におっしゃいました。
「聴く人は聴いてもらう体験をしなさい。」と。


聴いてもらう人の感情の動きを理解するには
聴く人が聴いてもらう人になることが必要だ、ということです。
そうしないと、理解した気持ちがどのようなものか
伝え返すことは難しい、ということです。


最近通院を繰り返しました。
都合3人の先生と話すことになりました。
患者の私は「聴いてもらう人」になったわけです。


途中で「どうしたもんだか・・・」と少し不安になることがあって、
どうも医者の「権威」の前では、口ごもってしまいそうなことで、
それでも体に関することだから、些細なことでも相談しようと、
医者も含め複数の医療従事者に状況を話しました。


おや?と思うことになって、
結局、私はどうしたらいいのだろう???と迷いながら
ひとまず安全策を選択しました。


標榜が違うかな・・・と思いつつも
かかりつけに行きました。
今現在、私にとって、
あらいざらい正直に話せる先生だと思っています。


事情を説明すると、
短時間の中でも丁寧に聴いてくださって、
なぜそういうことになったのか
体の状況と照らし合わせながら説明し、
見立てた結果、処置してくださいました。
加えて、他の医療機関にお世話になった場合も
よかれというアドバイスをいただきました。
様子を見て、困ったなら、また相談して、と
言葉に出して言ってくださいました。
「ピークは過ぎたんだね、よかったね」と
言ってくださいました。
診るのが当然・役目で線引きしていたら
この言葉は不要でしょう。


帰宅して、過去の診察時もあわせて振り返りました。
なぜ、話せるのだろう・・・と。
安心。
なぜ安心なのだろう・・・と。
否定されないと思えるから。
強引さを前面に押し出さないから。
訴えることに耳を傾けるから。
真剣に聴いてくれるから。(患者の私にはそう映ります。)
決めつけないから。
〇〇してみようか、
△△してみようか、と提案型の話し方だから。
それでいて、状態が芳しくない時は、
こちらの言い分はしっかり却下して、
指示に従うように促します。
専門家なのだから、
最後は先生の言うことを、「はい」と聞くのだけれど、
自分の都合や事情も言えるから。
言いなりになるというより
お互いに着地点を見出すような気がしています。


安心は、
治療の一部です。
治癒の一部です。
緩和の一部です。


向かい合ってる感じがしません。
そばにいる感じはします。
話し方・伝え方は上から目線ではありません。
私には、
「困ってる人がいたらお手伝いします、
それが私の場合は医師でした」みたいな感じです。


「相談して」といくら言われても
この人には言いにくいなぁ・・・ということもあります。
第一印象もあるでしょう。
回数を重ねていくプロセスもあるでしょう。
いずれにしても、どこかで「話してもいい人」と思っていただけないと
成り立たないやりとりです。


「聴いてもらう人」の私は
こんな思いを巡らせました。


そして
かつて
こう書いたことを思い出しました。


『私は伴走の時、肝に銘じています。
まずは隣にいづつけること。
合い向かうのではなく隣。
相手サイドにいること。
スタートは同じ景色をながめること。』


もう一度
浮上させて
読み直しました。
照らし合わせて理解してくには
同じ景色、これが共有できないと始まらないでしょう。


私にできることもあるけれど
できないことの方がたくさんあります。
だから相手の方の力も出していただいて
力を合わせて一緒に考えていくんです。
また改めて刻みましょう。


ありがとう

それでは またね。