こんばんは。


「なんとかしなくてはならない」状況に対して
自分の周囲に限定された中でも
何か私にもやれることがあるならば
もちろんかかわりをもちます。

でもそれは
本当に微力で
だけど
あちこちで何人もの人のその微力が必要なんだと思います。

3万人超です。
未遂を入れたら10万人超です。

一人の力が
いかにささやかなものか
圧倒されます。


そして
たいがいの場合、
小さな変化でも気づいたら声をかける、とか・・
消えてしまいたいなどと落ち込んでいる様子が見えたら話をきいてあげるとか・・
ひとりじゃないと伝えるだとか・・・・
悩んだら、困ったら相談できる環境を整えるとか・・
そういう人を置く・・だとか・・って話になります。


私も同様に言うだろうと思いつつ
もう一人の私は
それって
役に立ちたがっている側の傲慢だよ、とも思っています。


この間っこにいる自分に
イライラしたり
無念だったり
腹が立ったり。


3万人を超えるのが13年経っても
なんとかしなくてはならないと
提言したり、要領をつくってみたり
人材を育成したりしても
減少には至っていない現実。


話そうとしたり
なにかしらサインを出したなら
まだマシ。

何も出さない・出せない人もいるだろうから。


弱音を吐きたいと思っても
「だいじょうぶ、だいじょうぶ」って
「あなたはひとりでもやっていけるよ」って
言われた時のことを思い出すと
何度もそういうことが繰り返されると
「誰も耳をかしてくれないじゃん」
「もういいよ」って思っていったなぁと思い出されます。
そして
ますますかたくなになって
アテにしたい気持ちもうすらいでいったなぁと思い出されます。


気づいたり、
話を聴いたり、
そばにいたりって
簡単に言えるし
頭では理解できるし
そういう勉強の場もあるけれど、
相手のあること。
けっして聖人君子ではない自分自身がそこにいること。
字面のようにきれいにいかないことが多いのだろうと思います。


自分ができることは微々たること。
だけどもしかしたらそばにいられるかもしれない。
何も答えられないけれど、
気の利いたことは言えないだろうけど、
ただただ「うん、うん」とうなづいているだけかもしれないけれど、
今日はそばにいるね。ってことかもしれない。


で、
身のまわりでは
そういう雰囲気がありますか?

自分は自分。
ひとはひと。

仕組みもルールもつくれるけれど
それを活かす人たちは
いかがなものなんでしょうかね?


かなしいかな、
私のまわりは
ピリピリだったり
殺伐だったり
そんな類の言葉があいそうな場面に
でくわすことが多い気がしています。


やっぱり、
同じ景色を見る人がそばにいたら
私は心強いな。


ニュースをみた後
浮かんできた思いを
今日は書いてみました。


それでは またね。