私は捨て子、貰われ子です。
人は、辛いことや信じたくないことを上書きして、ことさらに強調する面があります。
私は出生児の記録から難産だったとされています。
分娩室に入ってから24時間かかったと。
これは大変珍しい難産だと思っていたが…。
どうやら養母の出産は死産ではなかったか?と思うのです。
そして、同じ頃に生まれた私は、死産の子に変わって出生届をされた可能性が高いのです。
言ってしまえば、出生届なんて他人の子でも出してしまえば、戸籍は作れるし、生まれた病院は、私の実父が影響力を持っている大病院でしたし。
そして、その4年後、私にとっては妹になる子が養父母の間に生まれてから、私への虐待が始まりました。
それは、間違いないことです。
そして、事あるごとに「お前は捨て子、貰われ子。可愛げのない子。」と罵倒され、暴力を振るわれてきました。
そして、病弱だった、まだ10歳にも満たない私に向かって養母はこうも言いました。
「あんたみたいな足手まといがいなければ、私は下の子を連れて離婚している」と。
たしかに養父の酒乱と暴力は酷いものでしたから離婚したい気持ちもわかるのですが、「足手まといだからお前は捨てたかった」とはあまりにも情けない。
そして徐々に歪みだした私の精神は、無言で養母の言うことを聞かなくなっていて、それに根負けした養母は、信仰している新興宗教で私の躾について相談していました。
その時に宗教の指導者から「お母さん、あのね。お子さんに口が裂けても、あんたは捨て子、貰われ子なんて本当のことを言ってはいけませんよ。優しく諭してください」と言われていました。
そうです。私のいる前で、宗教の指導者はハッキリ言い切ったのです。
私はその時、「やはりそうか…」としか思わなかったのを覚えてます。
そして、養母の父母、私から見ると義理の祖父母が、私が病がちなのを苦にして「やはり水子供養をしないけら、バルバロッサは病になんだよ。霊験あらたかなお寺で祈祷してもらわないと」と話しているのも聞きました。
そして、成長するにつれて、養父母とはまったく風貌も性格も似ていないことが現れてくると、親戚もご近所もあの子は誰の子?とざわつき出していました。
そんな雑音が出るたびに養母は
「あの子は、私が産んだ子なんだから」とことさらに喚いてました。
不都合な真実を排除するために。
そして義理の祖父母は、私のために遺産を残してくれたのだが、それが気に入らない養母は「あんたは穀潰し、金食い虫、なんでお前だけが大切にされるんや」と喚いてました。
ふつうの親はそこまで言いません。
やはり、貰われ子なんだと感じました。
そして長い年月が流れて、異母兄の配偶者から「バルバロッサは、亡きおじいちゃんの隠し子」だと知らされて、その時に養母と決別することにしたのです。
そう。全ての過去と別れる道を選んだのはその時からでした。
過去を捨てなければ、私の半世紀以上の人生が無意味になってしまうから。