
夏になるとマスコミは、広島・長崎の原爆被害と核兵器廃絶を左翼と一体になって叫び8/15のポツダム宣言受諾の終戦記念を叫びます。
ではなぜ広島・長崎に原爆投下されたのか、それは最初に帝国日本が戦争を始めたからだと言うことを忘れてはないだろうか?
戦争を始めなければ、原爆投下もなかった。
戦争責任は、極東国際軍事裁判で死刑判決を受けたA級戦犯に責任がある。
そして、アメリカはマンハッタン計画で対日本との戦争は海上通商破壊作戦で日本を兵糧攻めで降伏させることができると考えていた。
それでも日本軍の抵抗激しく、国際戦時法で禁止されている住宅都市部への無差別絨毯爆撃を敢行した。
日本は焼夷弾により焦土と化した。
アメリカは亡命してきたアインシュタインの核分裂の理論から、オッペンハイマーが核爆弾の開発に成功した。
アメリカは、核爆弾をつかわなくても日本を降伏させることはできたにもかかわらず、核爆弾を使用した。
これは国際戦時法違反に相当する。
だか、アメリカはこれを謝罪はしない。
核兵器による戦争の抑止力を信じる側に、核兵器を廃止する意図はあり得ない。
だから謝罪もしない。
こう言ってはなんだが、80年も核兵器の被害を訴えるということは、我々日本が東南アジアや中国大陸で行った侵略行為について謝罪し続けることと表裏一体なのだと思う。日本が被害面すればするほど侵略された側は「我々も日本の被害者だ」と嫌でも思い出します。
だから、日本人は核爆弾を投下されたのは、侵略行為の報復だと納得し、核兵器廃絶の前に侵略行為が起因していたことに目を向けて、これを清算することが、80年にも及ぶ謝罪外交を止めるきっかけになると考えるのでした。
被爆者には気の毒としかいいようがないのだが、だが被爆者の親兄弟も軍国日本に協力し、大陸や東南アジアの侵略を良しとして戦争協力してきていたのです。
歴史的な背景は多面的な検証によってはじめて理解できるのだと思わなければならないと思うのでした。