スポーツに限らず、芸能、会社組織では強い規律と競争原理と強制力が働くは仕方がない。

また、受験競争でも高学力と底辺の差はあって平等ではない。

そうした中で、相対的平等と人権はバランスを取りながら生きているのが実態なのだろう。


今回の広島の高校野球部ではカップ麺を食べた下級生に集団暴行を加え、性的虐待をし、しかも退学に追い込み、その家族がSNSに情報公開したことから拡散した。


このことで元ラガーマンの息子と話をした。息子曰く、お父さんも会社勤めしていてわかるだろうけど、会社も芸能劇団もスポーツ界も目標に向かって、厳しいノルマやルールを課して、クオリティを上げて、成果をたすようにしてるだろ、だからルール破りやノルマを達成できない奴は、厳しい指導を受け、だめなら脱落するのは仕方ないいだろ〜。もちろん、俺はイジメたりはしないけど…。と。


たしかにその一面はあるが、私はたしなめた。

たしかにそのミッションを達成するに足りない人や、その仕事をするに能力が足りない人、周りのクオリティについていけない人はいる。

だからといって切り捨てるのではなく、新しい道を見つけてやるのも上に立つ者の役割なんだ。

たしかに、怠惰による劣後は、真に救うにあたいしないし、その場合は、切り捨てられても致し方がない。

ただ、努力しても潜在的能力が足りない場合は、新しい道を見つけてやるのが上に立つ者の度量なんだと。

そして、くだらない掟を作って、下の者が掟破りをしたからといって暴力や性的加害をしてよいわけはない。


人間がなぜ人間でいられるかは、理性かあるからなんです。


下級生はカップ麺を食べてはいけない!なんという理不尽。下級生は甘い物禁止、調味料禁止、異性を見るの禁止、返事は「はい」のみなどなど…禁止する根拠に欠ける掟をつくり、掟破りは集団でリンチ。

これはみんな傷害罪です。


だから、息子に言いました。

君の理屈は一面で正しい部分はあるが、それでは社会では通用しないし、いつか痛い目に遭う。弱い者をいたわり、適切に扱うことは上に立つ者の度量であり、言葉は悪いが真の勝者の特権なんだ…と。


至らない者、周りから劣後する者、期待に応えてくれない者がいたとしたら、そうした人の能力に応じた役割を与えるべきだし、私は過去の勤務先でそうしてきた。


理由ない暴力は、怨みしか残らない。


私は、養父母にいわれなき虐待を受けてきた。

その悲しみや憎しみは今も刻み込まれて消すことはできないでいる。


だから、息子には傲慢にならないようにたしなめたのです。