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おはようございます。

今朝は、大雪ならぬ大雨で、例年ならどっさりある筈の雪が一夜で半分になってしまいました。

本当に、気象も、世の中の情勢も、もう混乱状態。カオスですね。

でも、大丈夫!
人は、もうダメ! と思った時、立ち直れる凄い力、叡知を底力に持っている存在です。

この人間の持つ「底力」、と申しますか、「自己治癒力」について、今日はメールしますね。

前回の続きですが、私が、桃源郷のような山に移り住んで、2年目に難病「線維筋痛症」に侵された話は、前回しましたね。

この病気、新種の病気というか、以前からあったのでしょうが、医学的な反応が見つからないので、あまり取り上げられて来なかったのだと思います。

それが、アメリカで初めて認知されたのですが、医学会も原因不明で、治療法も分からない病気ですから、日本では注目されてきませんでした。

それが、日本テレビのアナウンサー、鈴木きみえさんがこの病気を悲観して、自殺したことによって、いきなり注目を浴びるようになりました。
そして、テレビ番組のたけしの「そこが怖い家庭の医学」で取り上げたり、読売新聞や、朝日新聞でもかなりの紙面を割いたりして、多くの人がこんな難病があるんだと認めてくれました。
ですが、やはり、原因も治療法も分からず、研究する医者も日本には二人しかいませんでした。

ただただ痛い! 身体中を走る激痛。時には、ガラスの破片でザクザク刺すような、また、ある時には五寸釘でザックと突き刺すような、、、

病院で色んな科を受信しても、分からず、、、
発症して一か月目。運よく、二人の日本の研究者の一人のドクターと巡り合うことができました。

それで「線維筋痛症」という難病だということが分かりました。
しかし、治療法が不明なので、医者は「痛み止め」をくれたのですが、どんなに強い鎮痛剤でも、止まるシロモノではありませんでしたので、鬱の薬「抗精神薬」をくれたのです。
それによって精神をボーっとさせて痛みを緩和させるのです。

私はセラピーに携わったこともあり、その薬を服用するのに抵抗がありました。
ですが、痛みには耐えられず、やむを得ず、服用しました。
それでも、痛みは多少緩和されたのかな?という程度でした。
少し、緩和されたら、止める。また、激痛が走るので服用。また止める。それの繰り返しでした。
身体の痛みもさることながら、その薬を常習することに対する苦痛の方も辛かったです。

身体の痛みと心の葛藤と。
私は精神分析家でもありますから、常に、激痛に耐えながらも、自分の内面に問うていました。
何ゆえに私はこの病気を発症しているのか?
この不治の難病から、何を学べ、というの?

人の世は、すべて「原因、結果の法則」で成り立っている。
私は、どんな原因をつくりだしたのだろうか?
自問自答していました。

鈴木きみえさんが、これが原因で命を断ったニュースはショックでした。
寿命までこの地獄の痛みと付き合うのだったら、死んでしまえば、この苦しみから解放されるんだ。
そんな思いも私にもやってきましたが、しかし、

私は『生きる道!』を選びました。
生きる「意味」を見つけたかったからです。

いつも、私の脳裏には、第二次世界大戦中、ナチスのアウシュビッツ強制収容所に囚われ、その収容所で、妻、両親を亡くし、極限的体験を経て生き残ったユダヤの精神科医ヴィクトール・フランクルの言葉がよぎっていました。

仲間たちが絶望の果てにガス室に送られる中で、彼は
「人生にはどんな状況でも意味がある」
「心の支え、生きる目的を持つことが生き残る唯一の道である」
そして
「誰もその人の身代わりになって、苦しみをとことん苦しむことは出来ない。この運命を引き当てたその人自身が、この苦しみを引き受ける事によって、ふたつとない何かを成し遂げるたった一度の可能性はあるのだ」

の言葉に励まされて来ました。

強制収容所の体験、あの有名な『夜と霧』の中で語っているのです。
そしてフランクルは強制収容所から生還できたのです。

私もこの運命を引き受けました。
この難病になった本当の原因は未だに分かりませんが、この苦しみの中で、色んな気づきを得ました。
ともすると忘れがちになっていた、私が、私故に生きなきゃならないミッション(使命)も再認識されました。

発症して4か月経った頃、友達からアメリカで「線維筋痛症」を克服した方の体験を聴き、その治療法を知りました。

強力な抗酸化食品を摂る必要があるとのこと。
その強い「抗酸化複合栄養補助食品」を提供している会社も教えてもらいました。

しかし、その会社はその食品を売る事が本当の目的ではなく、人と人との縁の環で社会貢献をする、社会を立て直すという壮大なビジョンを持っていました。
この会社の詳細はまたの機会にしますね。

18種類の強力な抗酸化の食品を互いに相乗効果が出るように絶妙のバランスで配合している補助食品を提供していました。
栄養に関して、かなり気を付けてきた私でしたが、あらゆる病気の90%は身体の酸化が原因でもあるという事は、目から鱗でした。

そして、何よりも、私に希望を持たせてくれたのが、会社の想い、「理念」でした。

黄金の配合率を持った抗酸化食品であっても、それ自体を売ることだけが本来の目的ではなく、人と人の縁の環で社会貢献をすることがその会社の一番の目的でした。
その仕組みの中で、人の健康のために研究に研究を重ねて、本物の製品を造ったのです。

会長の『犬でもね、猫でもね、自分の生んだ子は自分で育てる。でも、人間だけが、親が子を殺し、子が親を殺す。どうしてこんな世の中になってしまったのだろう。
早く、何とかしなきゃならない。でも、私一人の力では何も出来ない。どうか、皆さんの力を貸してください』という会長の願い。想い。
本物だと思いました。感動!しました。

2007年、発症してから4か月目。自分の運命を引き受け、自分のミッションを再認識したとき、こんな素晴らしい理念に出会ったのです。

この時、私はこれでこの難病も治る!と強く思いました。
そして、その通り、その栄養補助食品を食べて一週間で激痛はなくなり、3か月目に私は不治の病とおさらばしました。
医者は未だに信じません。また、再発すると言いました。
ですが、あれから、9年が過ぎましたが、再発するどころか、私は益々、健康になり、見た目も-10歳も若返りました。

そうーして、いま、振り返って観ると、私をここまで健康にしてくれたのは、私の精神の在り方だったのだと思えるのです。

鈴木きみえさんが自殺した時、私が選択したのは、ヴィクトリア・フランクルのように「どんな過酷な状態にあっても生きる意味を見つけよう」としたことだと思います。

それを引き受けたトタンに地獄の苦しみから抜け出す助けがやって来たのです。

その助けが、アメリカで難病を克服した方の体験談を持ってきてくれた友達。
病気が治るきっかけになった抗酸化食品との出会い。
そして、社会を私たちの人の環で立て直そうとする素晴らしい仕組み。
理念を知った時の感動。

これらの前向きの生き方が私に希望を与え、「自己治癒力」を活性化させてくれ、地獄の痛みから私を生還させてくれたのです。

これが、私が言いたかった、人は土壇場で立ち直るという事です。

随分、長いメールになりましたね。
まだまだ、これに関して、思うところ、書きたいことがありますが、
次回またにしますね。

ここまで長い文章にお付き合いくださって、ありがとうございます。