妻女山(さいじょざん)(標高411M)。
この山の名前を聞いてピンとくる人は、
一緒に日本歴史の話し合いしようではありませんか?の気分ですが(笑)。
それぐらいわくわくする山です。
(歴史好きにとっては)
妻女山は、戦国時代、
上杉謙信さんと武田信玄さんの川中島の戦いで出てくる山です。
上杉謙信さんが陣営を敷いた山なんですねっ。
両武将のファンが訪れたりするようです。
っと、
上杉謙信さんはご存知ですか?
(今まで結構話してきていますが、改めて聞いてみる)
上杉謙信さんは、越後国(今の新潟県)の城主。
戦国武将です。当時の足利将軍と仲良しです。
上杉謙信さんは一生独身を貫いた人です(この時代に珍しく、
奥さんをつくらなかったのです)。
「敵に塩を送る」のことわざができたのは上杉謙信さんの行動のおかげです。
つまり、それだけ義に生きた人です。
これは当時の戦国武将では珍しい行動です。
今のような法律のない時代に「義」を通すのはなかなかできることではないでしょう。
ライバルには武田信玄さんが有名です。
ちなみに武田信玄さんは、甲斐国(今の山梨県)出身ですが、
結構土地を広げて長野県にも勢力をのばしています。
さて、話を戻しますが、
山に陣営を敷くことで、
下にいる軍の動きがよくわかり、
次の手が打ちやすいのです。
それで、タイトルの括弧書きに
斎場山(さいじょうざん)と書いていますが、実は陣営では妻女山と認識するよりは、
斎場山(標高513M)と認識したほうがいいでしょう。
斎場山の山頂に、
「上杉謙信陣営跡」があるからです。
今は木々に覆われていますが、
おそらく合戦中は、
もっと見晴らしをよくしていたか、
若い木は当時はなかったかも知れません。
ここから川中島方面を見ると、
(あーー!!)
と、心の中で叫びたくなるわくわく感に溢れることでしょう。
(大声出したら少し目立ってしまうかも知れない)
斎場山(妻女山)からの360度パノラマがCGですが、見れます。
(この行をクリックすると新しい窓で開きます)
ちなみに、妻女山(赤坂)の頂上に
登ってみると、展望台があります。
赤坂山とあるのが現在の妻女山です。
展望台と招魂社、駐車場があります。
つまり、昔、赤坂山だった所が、今の妻女山であり、
戦国時代の旧妻女山は斎場山のことです(ですが、戦国時代には妻女山という名前はなかったそうです)。
なので、上杉謙信さんの本陣は
先程も申し上げたようにどっちかといえば斎場山です。
展望台のある方(=赤坂山)は上杉軍に奇襲を仕掛けようとした
山本勘助さん(武田軍)が、来た所だったとおもいます。
※歴史こぼれ話
上杉謙信(当時は上杉政虎)さんと武田信玄さんが、
四回目の川中島の合戦で
(川中島の戦いは全部で5回行われていました。
11年も戦っていました。)
向かい合うわけですが、そこで、
武田さんの側近(=策士)の山本勘助さんが
妻女山にいる上杉軍に山の後ろから回って
奇襲を仕掛けようともちかける(きつつきの戦法)わけです。
ですが、上杉さんは事前にそれをキャッチして、
山本さんが上杉軍の後ろに回る前に、
山を下りて逆に奇襲を仕掛けたんです。
頭脳戦です!!すごい。(山本さんは奇襲ができなくてショックを
受けたようですが)
ちなみに、この回は上杉さんと武田さんが直接一戦を交えた
唯一の合戦ともいわれています。)
※上杉謙信さんをはじめ昔の武将は、名前が
幼少(幼名)と大人で数回変わります。
※川中島の合戦がはじまった理由は、
今の長野県にいた村上さんが上杉謙信さんに
武田軍からの侵略を何とかして欲しいと助けを求めに行ったことが
事の起こりです。
歴史好きとしては戦国時代が絡むと更に登山が
わくわくするのはいいですねっ。
山情報をメルマガにて配信しています。
皆さんの質問に答えるかたちになっていますので、
特に登山初心者の人には有益な情報になるようにしています。
是非ご登録ください。
○登山無料メルマガのご登録はこちら↓↓↓
※無料メルマガ「ゼロから始める楽しい登山」はこちらから
(クリックすると新しく窓が開きます。)
「読んだよっ!!」クリックお願い申し上げます。
ーーーーーーーーーーーおすすめHPーーーーーーーーーーー
登山家小西浩文氏とICI石井のスーパーバイザー越谷氏が
直接解説してくれる無料動画がご覧いただけます。
→→→登山家小西浩文氏とICI石井越谷氏が登山グッズについて無料で教えてくれる動画はこちら
(↑上の行をクリックをすると別窓で飛びます。)
また、ご質問の回答もメルマガにて行っています。
○登山、質問、意見を無料でしてみたいという方はこちら↓↓↓
※登山に関するご質問はこちらから(携帯用)
(それぞれクリックすると新しく窓が開きます。)
・ご意見も、上記のご質問フォームから受け付けています。