本谷有希子の作品を読んだ。映画化されるやつ。

以前からその経歴+年齢、さらに劇作家ということで注目していたが、高橋源一郎が解説ということで思い切って購入。

文章自体が魅力的なわけじゃないけど、何をみて(イメージしてほしいか)・感じて欲しいかは明確といった印象。

古くて新しい。

澄加の強烈なエゴイズム?は、完全に自身のアイデンティティに対する不安だけど、題材がこれだけだとすごく単調になってしまう。

澄加を中心に個性のたった人物が回りに配置され、それぞれ澄加の影響を色濃く受けているが面白い。

特に清深の罪悪感というか、自身の背徳的興味に対する驚きと葛藤が文章にされると新鮮だった。

また、源一郎の絶望に関する記述は、かなり共感。

『まず、絶望することを選んだのだ』

まあ大したこと経験してないけど。

単に不幸を知らなければという視点ではなく、ゼロ発進することによる開き直りとも言える強さ。原点回帰。

イラついた頭が鎮まった。

ネットから遠ざかりはや一ヶ月。


私、4月10日からココ、千葉県に住んでおります。


いまだインターネットを引いてないので、全く更新できていませんが、また一人、友人がこの電脳界を旅立ったようで寂しい限りです。


そう、寂しいのです。


最近気づいたことなんですが、田舎に一人で住むということは、≒遭難。


先日、一番近いレンタルショップに行くのに山一つ越えました。


うへっ。


そして、私、大学院入学とともに、朝方人間へと一足飛びしてしまいまして最近滅法眠たいです。


一時期、2時間の昼寝が日課となっていました。


今年から新社会人となった我が朋友たちには全く申し訳ない。


また、ネットができる環境になったら不定期更新を目標に頑張る所存です。


研究室のパソコンからこそこそと書いているので今日はこの辺で。


まあ、今ここには僕と骸骨しかいないわけですが。

受がったっーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!

久しぶりに友達数名と酒を呑んだ。


気付いたら、酔っ払って今まで溜めてた一人よがりな感情がドクドク湧いてきて号泣してた。


情熱大陸の東信みたいに。


自己分析すると、こーゆう場合、自分がとる行動は感情的になって一人よがりになるか、それこそアパシー、無気力である。


「頭ん中でね。カニがね。動くんですよ。ほらっ」


そして、今まで感情的になると、簡単に言えば「わかってちゃん」になってしまいそうなので極力控えてきたのだが、なんだか昨晩は酷かった。


たぶん、精子でも溜まってたんだ。


そーだ。


アイツが中原昌也なんて貸すから悪いんだ。


だから、あんな輩みたいな壊れ方したんだ。


僕、悪く、ない。


いや、ホントすいませんすいやせん。


はい、済みません。


ただ、昨日わかったことは、自分の推察が全て、残念ながら全て当たってしまったってこと。


そして、わかっていながら結局、自分は2年という時間の中で何一つできてなかったということ。


あぁ、あまりにも無力だ。


悲しいかな無力である。


私は、別に世界とか飢饉とか温暖化とか、そんな話をしているわけではない。


自分の身近な人、一人に対して何の影響も及ぼせない自分に嘆いてしまう。


私「まだ、10時なんですが」


母「あぁ、あたしは風邪ひいてんのよ。う~ん。」


私「じゃあ、向こうの部屋で布団ひいて寝な」


母「あぁ、いたたたっ、あたしはここ(コタツ)でいいよ。」


私「じゃあ、めんどくさいから死んじゃえよ」


そーゆうことである。


なんで、経験しなきゃ何もわからないんだろうか。


なんで、小さな失敗を経ることで、大きな失敗を回避しようとしないのか。


なんで、そんな末期的な考えなんだろうか。


なんで、不毛を繰り返すのか。


いったい、その先になにがあるのか。


なんだかくだらなすぎて、かるく笑える。


そして、頭が痛い。

とりあえず、久しぶりに徹夜を敢行し、一時選考の提出書類を無事提出。


ハイになって、友人と暗室で飲酒+徹夜(大学に20時間超滞在)。


もちろん、写真は一枚も焼いていない。


9時頃、部さんに見つかり、後日激怒される予定を組むはめに。


帰宅後、12時間睡眠を経て、現在。


――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


う~ん、眠い。アンパンマンの声で目が覚めた。昨日は、友人が写真展の作品を作るということでなぜかかりだされた。暗室にはよく行くものの、全然写真なんて焼いてないのに。まあ、結局、バカが2人揃ったところでバカにしかならないとゆーことを理解した。ただ、久しぶりに写欲上昇。そろそろ、カメラを直さなくては。


とゆーか、最近になって、もう関西くることねーなと思うようになった。大学院行くにしろ、行かないにしろ。そりゃ、行こうと思えば行けるけど、僕は腰が重いのである。とっても。


友人と暗室でそんな話をしていると、最後にいっちょ軟派でもしようということになった。大学生にもなって、軟派の一つもしていないとはけしからん。これじゃー意気地がないと思われてしまうではないか。しかも、我々とは真逆の人種、今までの人生とは無関係な人種、それすなわちギャルとレゲエの一本釣りという無謀とも言える計画をぶち上げることになった。私の知人は、メンタルトレーニングの本を熟読してたり、「ヤ~マ」とか言いながら、誰かとハイタッチを交わしているのを目撃しても何も言わないようにして下さいね。


うーん、やっぱり別れは寂しい。ただ、出会いも面倒くさい。


今はもう星になってしまわれたせいふー氏(もう漢字すら覚えていません)、私が関東に行くことになった際は、遊んでくださいね。私をスキーに連れてって。

私には、11年が離れている姉がいる。小さい頃より、大学に入ってからの方がよく会うようになり、姉をみていると、「普通」であることがどれだけすごいことなのかということをよく思い知らされる。


ありていに言ってしまえば、「できた姉」であり、私の中で「いい大人=姉」という図式が小さな頃からあった。私の物心がつく頃には、すでに東京の、確か杉並区に住んでて、アラブ系の外国人にバッグを引っ手繰られ、かわりに前歯を2本折られていた。


私の最も古い記憶は、その頃に、一人、新幹線で遊びに行ったこと。小3ぐらい。都庁だ、原宿だ、東京ドームの巨人戦だと、まあ色々遊びに行った気がする。そのとき、東京ドームで買った英語のTシャツを姉に爆笑されたことをやたら覚えている。


「あんた、これ何て書いてあるかわかってんの?」


わかるわけがない。小学生にとって英語の意味は=カコイイだけ。しかも、それは威勢のいい筆記体だった。


「でっかいタマゴって、ぎゃはははっ」


Tシャツには、シャー!コノヤロー!!という勝俣のような勢いで「Big Egg!!」と書かれていた。


返品しようとしたができず、そのままそれを着て帰りの新幹線へ。姉は、新幹線の中まで入ってきて、隣の若夫婦に「この子、静岡までなんですけどお願いしてもよろしいですか?」と頼んでいたのが、みょーに大人に見えた。


それ以後も、大して会ってもないし会話もしてないのに何かと彼女は私に「大人」を見せてくる存在であった。


中学・高校の頃、家族と仲が悪く(今でもそうだけど)、私は友人によく親のことを悪く言っていた。マジムカつく!!みたいな。その頃、よく言われていたのが、


「あんたねぇ、どんな親でも自分の親のこと悪く言うんじゃないよっ!親の恥を人に言うのは自分の恥を言ってるのと一緒なんだよっ!ゴロゴロ、ドカーーン」


言われた時は意味不明であったが、この言葉を思い出させる事件が起きた。うちの母親は、人が来たらなんでもたくさん食わそうとする人である。友人の一人が泊まりにきた時も、我が母親は予想通り朝、友人の分の弁当を作り手渡した。


でも、登校中にそいつは悪びれることもなく「イラネェー」と言って溝に弁当を捨てた。


その頃母親のことなんて嫌いなはずなのに、なんだか無性に悔しくなってムカついた。ただ、姉の言葉を思い出すと、それをそいつに言う気にはなれなかった。あぁ~これは俺が招いたことなんだ多分、みたいな。どうやら俺は親のこと好きじゃないけど、人にコケにされるとクソムカつくらしいということをそのとき思い、それから親のことを悪く言わなくなっていった。そして、何も言わなかったけど自然とその後、そいつとは疎遠になった。


また、ダウン症の人が土砂降りのなか、一人で傘もささずに突っ立っているのを私が目撃した時も彼女は私に「大人」を見せた。


「なぁー!しんやみたいな子が雨ん中突っ立てんだけどっ!!」


しんやはダウン症で幼馴染の弟である。私が家で一人でいると、たまに勝手に家に入り込んで冷蔵庫やら親父の秘蔵AVの入った棚を漁っている。私が「しんや、どうしたー?」と聞くと、毎回「ドラえもん、ドラえもん」と言っては私が小さい頃取り貯めていたドラえもんのビデオを借りていく。ちなみに、借りていくのはいいのだが、一回も返してくれないので今では家に一本もない。


そして、ダウン症の人には大変申し訳ないが、私には顔が同じようにしか見えない。しかも、そのときは土砂降りでじっくり見たわけではなし対処するにもどうしていいのかわからなかったので、とりあえず、家で姉に聞いみたのだ。2人してとにかく行ってみようということになり、スタコラスタコラ。


「一人で家まで帰れますか?」


ほえー、それでいいの?ただ、なんだか話がかみあっているように見える。結局、その人はしんやではなかったわけだが、私はその人に傘を貸し、というかあげて帰った。


大学に入ってから、私が思っている本当のやさしいというのは、「母親のやさしさ」であることに気付かされた。そして、そう考えると私には母親が3人いるような気になることがある。

結構前だけど、くるりがだした「NIKKI」っていうアルバムが良かった。


高校の時は、すごい好きだったのに大学入ってからは全然聞かなかったのは、自分の中で「くるりはこーゆうもの!」ってイメージが強くて気に入らなかったんだな、多分。


とゆーわけで、今日、一番好きだった「坂道」の入ったファンデリアを借りてきた。


くるり
ファンデリア

やっぱ、良い。


何年ぶりかに聞いたのに自分の中にスッと入ってくる。


もう「坂道」にいたっては、懐かしすぎて軽く泣ける。


「NIKKI」が良かった人には、かなりの良作だと思われます、はい。

久しぶりの更新。


この更新までの間、色々と紆余曲折を経て、また脳髄を煮崩れさせながら悶々と考え・・・


院試受けることにした。


物の見事にギリギリなわけで、今からやって受かろうなどととは調子がイイの一言。ただ、自分が決断できたこと、もう一回チャンスが与えられたこと、もう一回信じることができたことを素直に嬉しいと感じたい。そして、周りの人から受けた真摯な言葉に心底感謝したいと思う。特に、姉には。



信じることができたことは、私のような人間にとったら至上の喜びである。私の大学生活のおける小さなイライラの正体は「信じたいけど信じられない」というのがその大半。そして、信じることに憧れた。



「僕は、世界は美しく、人間は善良だと信じていたい。そう信じて生きられたら、バカと呼ばれたっていい」


前見た深夜映画「デュエット」の一節。一回みただけでこんなこと覚えてしまうぐらい甘ちゃんなわけだ。別に世界と人間がこんなんじゃなくて全くいいわけだが、自分が信じたいものとか好きなものを信じて生きれたら、ほんとバカと呼ばれても別にいい。そんなん結果が全て。そして、結果を出すために必要なものがエゴイズムとも言えるような意志。


「全部おれのもんだ、孤独も、苦痛も、不安も、後悔も。 もったいなくてタナベなんかにやれるかってんだ」


プラネテス2巻。読んでて、あぁこれなんだよこの感覚が欲しいんだとなったセリフ。


かーーーーーーーーーー。


我ながらなんか恥ずかしいこと書いてる気がするぞ。


多分、見返したら消してしまいそうだから読み返すのやめとこ。


とりあえず、絶対、四月から大学院行きます。


そこの研究室の人は待っててちょーだい。


時間ないとかそんなんどーーーーーーーーーーーーーーでもいい。


しょーがないって言葉をよく吐く奴と言い訳をする奴なんて大嫌いだ。


そーゆー奴は自分の頭ん中で遊べ。


お前が何をしたんだ?って。


しょーがないって言えるほど本当に自分がすべきことを全部やったのか?って。


大して、できてもないのに呈よくがんばったと思ってるだけじゃないのか?って。


単に何かの、誰かのせいにしてるだけなんじゃないのか?って。


でも、受かんなかったらどうすんのって?


俺は生まれてこのかた「絶対」って言葉を使ってできなかったことなんて1つもないんだ。


そして、「生きるために生きる」には俺はまだ何もできていない。

皆様、お久しぶりでございます。


ここのところ、めっきりブログから遠ざかっていました。


定期的に覗いていただいていた方々には本当に申し訳ありません。


でも、補償はしないYO


最近はと言えば、ついさっき缶ビール当たりました。コンビニで。


缶ビールと言えば、最近風邪気味で漢方をビールで流し込んだら、ゲロ吐きました(クスリじゃないのにメシマコブ)。寒い夜に。


寒い夜と言えば、最近夜中外に出るといつもハーモニカのような音が聞こえてきて


(あぁ、単身赴任先のお父さんのところに小学生の娘が来て『学校で習ったのー☆』とか言って弾いてるに違いない。ハートフルビューティフルワンダフル。でもちょっとセンチメンタル。)


なんて思っていたのに・・・


隣のゲーセンのクリスマスツリーでした。慌てすぎ。


慌てすぎと言えば、徹夜明けの心拍数計ったら120越えました(推定最大心拍数=220-年齢)。そして、先週20km走ったせいか最近朝起きると全身がイタイです(ちなみに1回運動中、200越えましたフフフッ)。


イタイと言えば、私、卒業論文で『心拍変動』というのをテーマに実験するんですが、その被験者を頼むために陸上部の一年生に対して遜って敬語を使う私は本当にイタイです。自分で言うのもなんですが、ノリが、ねずみ講の勧誘のようです。


ねずみと言えば、韮崎高校の生徒・・・なんちゃらかんちゃら、うんぬんかんぬん、ぴーちくぱーちく、あひゃひゃっうひゃひゃっ


と、まあ色々と日々あるわけですが、ここにきて、私、今一番やりたいこと出来てます。


あぁーこれだよ、今までこれがしたかったんだよ、漏れは。


ばーか、ばーか。善治のバーカ。


ごめんなさい、酔っ払いながら書いてる私は無礼千万です。


ごめんなさい。


次回は、もう少しまともに書きます。


とりあえず、更新しなきゃと思って。


あっ、あと、エスパがんばれっ。(実はエスパルスファンなんです。)

ある朝、goodvalueandqualityがなにか気掛かりな夢から眼をさますと、自分が寝床の中で一匹の巨大な毒虫に変わっているのを発見


していたら、その不条理さに愕然としたに違いないが、自分が白ねぎを抱いて寝ていたことに気付くぐらいでも少々落ち込むものである。


この前、豚の角煮を作ろうとして買い忘れてた材料。


何でねぎを抱いていたのか不思議に思いながら起きあがると、猛烈に腹が痛い。そして、寒い。最近、朝と夜が普通に寒い。カーディガン着てても寒い、心が。


それはイイとして、近頃、季節の変わり目ということもあって、体調が悪い。持病が全部出てきた。鼻炎に腰痛に偏頭痛、そして山根。あぁ、病弱。鼻炎は何年か前に粘膜を焼いて以来平気だったのだがどうやら再生したようだ。偏頭痛も高校以来大してなかったのが、近頃よくある。もうサイアク。そーいえば、鼻炎と偏頭痛を合わせると、風邪に限りなく近い症状になるわけだが、熱がないため、小さい頃よく仮病扱いされた。ウソつくんじゃないわよっ!みたいな。畜生、グレてやる。


今日は、BBQとテニスという予定だったが、私だけ雨天中止。雨降ってんのに、十三まで行きたかない。ぽけーとしながら、久しぶりにポストを覗くとおじい様から小包が。中には、大量の米が。一昨日買ったばっかりです、おじい様。あと、三枚の手紙と一万円も一緒に入っていた。残金、1600円しかなかったから大助かりである。手紙の内容は、『失敗と私』とも言えるような内容で自分の生い立ちからざっと書いてある。やっぱり、ものすごく心配されている。ついこの間は、中小企業の社長が書いた『失敗に強くなければ成功できない』という私が生まれた年に発行された本が届いた。中身は抽象的な精神論に加えて、『英雄色を好む』的恋愛論まで書かれており、まさに下世話様である。いったい、実家で私のイメージはどうなっているのだろうか。


私は、今までの人生の中で失敗したと思ったことがない。こんなんで何を言ってんだと思われるかもしれないが。成功・失敗という判断は、そのほとんどが自分が決めるものである。具体的に言えば、途中でやめること・しょうがないと思うことであり、失敗しない方法とは、成功するまでやり続けることだと思っている。つまり、どれだけ、それに対して持続力、執着心、飢餓感があるかが肝要であり、成功とはどれだけ自己満足を得られたのかということだ。人間とは、物質的世界に身を置きながらも、限りなく精神的なものである。傍から判断して、お金があるから、成功ともいえないし、遊んでるから幸せともいえない。極端な言い方をすれば、自分以外は、人もモノも金も情報も、全て自己満足を得るための手段といえる。


アメブロの今週のお題には、『人生とは? と問われたならば、ひとつには何かを探し求める旅路だということができるかと思われます』なんてオサレなことが書かれているが、上記のように考える私にとって人生とは、選択と決断の連続でしかない。なんて無味乾燥な意見だろうか。しかし、これが自覚的に行われなければ、人生なんてのは酷くつまらない。例えば、女の子を好きになって、別れて、また別の子を好きになって。新しい友達が出来て、消えて、また新しい場所で出来て。同じことの繰り返しだ。ぐるぐるぐるぐる。主観的に、自覚的に選択と決断が行われなければ全てが、代替可能な存在や出来事になってしまうし、そう思ってしまったら、ものすごくめんどくさい。主観的な世界においてこそ、代替不可能なものが生まれるのである。


また、自覚的な選択と決断を行うことで、一過性の、直線的時間の流れも実感できる。そして、それは人生において後悔の念をも抑えることができる。後悔とは、自分の意識を過去に飛ばす行為だが、考え抜いて出た決断は、自分の背中を押すものであっても、自分の足を引っ張るものにはなり得ない。


まあ、何でこんなことを言っているかといえば、両方経験しているからだ。


一週間で大学の勉強と教授のスタンスに何も見出せなくなったものの、大学生活を振り返れば、女のコトと将来のコトしか考えていない。しかし、結局、自分のスタンスも決まらないまま、選択と決断を放棄し、付き合っていた子とは別れ、将来については答えを出せず、上記のような円環的時間だけが過ぎている。その子と別れたときは一人前にヘコんだものの、だいたい、そんな凪の状態。からっぽだ。だいたい、自分の方向性も決まらないのに彼女もクソもない。昔から、拗ねたらよくこうなる。一時期、『何も望まないから、何もしたくない』なんて甘っちょろいこともよく考えた。何に対しても決断したら、おのずと責任が発生するからね。自分に対して、両親に対して、兄弟に対して、友人に対して、彼女に対して、社会に対して。もう責任とかこぇーよぉ、もういいよぉっとなってたわけである。


そもそも、選択と決断を思った理由は、様々あるわけだが色々なモノに影響されながらも自分で歩いている・自分を育てている実感が欲しかったからだ。だから今でも、縁だとか、運だとか、霊だとか、性欲とか、一時的な感情とか、占いとか、宗教とか、哲学とかが嫌いである。一時的なものに振り回されたくないし、決断を何かに委ねたくもないし、何か大きなモノに帰属したいとも思わない。誤解がないように言えば、どれも手段として利用するなら賛同できるが、それが自身の決断よりも前にいってしまうことが嫌なのである。また、宗教も哲学も学問として捉えるならいいが、自身の人生の指針となってしまうことが嫌なのである。私にとって、宗教も哲学も自分ルールであり、多くの人に向けた最大公約数的なものでしかない。また、他人の人生をなぞりたいとも思わない。


まあ、哲学に関して言えば、知るのが怖いだけである。私の考えなんてのは、どーせ誰かが考えていることだ。しかし、宗教は知識としては大したものがないものの小さい頃から触れている。母方は仏教徒(草加じゃないYO)、父方はキリスト教徒であり、我が家にはキリストの像と仏壇が両方ある。洗礼名があれば、自分のご供養セットもあるし、キリストの血と肉を食べれば、饅頭も食べた。教会でキリスト生誕の劇をやれば、仏壇の前で足痺れさせながらお経も唱えた。こっちでアーメン、あっちで南無妙法蓮華経。


いや、実際、無力ですよね。さらに言えば、自分の意識をそーゆうものに帰属させている人は、弱いし(人間なんて弱いものだが)、話すことも『だからなんですか?』ということしかない。気力が萎えることはあっても、与えられることはない。感謝しましょうと言われて、『ありがとう』と口に出せても実感はできない。世を儚むことはできても現状を打破することはできない。そんなもん。


人は外部の様々なモノから影響を受ける。感情という受容器によってそれらの刺激を受けとめ、そこから自分の中で喧々囂々の議論をし、主観的な選択と決断を経て、意志が形成されていく。そして、その決断こそ意志を達成するための動力となり、また、達成するために客観的な選択と決断を繰り返していくのである。


人生とは、選択と決定の連続であり、意志を達成するという点において、常にその過程でしかない。