いきなり何の宣言かと思うかもしれませんが、私は飛び抜けた容姿や、人に誇れるような才能や技能・経験は持っていません。


特に学生時代や社会人として働き始めの頃は、様々な分野で活躍している人を見ていく中で、そんな自分を「つまらない」と思っていた時期も長くありました。

特出した個性や才能を持った、一目置かれる人を、本当にすごいなと思っていました。


そんな私が、就活をしていく中で、「教育」に興味があることに気づきました。

「教え育てる」と書く「教育」、教えられる何かを持っているわけでない自分がなぜ?と自分でも不思議に思ったことを、今でもよく覚えています。


でも、理由がありました。「特別なものを持っていない人」ができる教育もあると、今では言えますニコニコ


私の理想とする教育の形、テーマは「お絵描き」です(いきなりテンションが変わるのはお許しください笑


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白い紙に白いクレヨンで書かれている絵は、ほとんど見えない。だから、自分の絵が上手いかそうでないかもよくわからない。

もっと上手くなりたいのか、そうでないのかと聞かれても、そもそも見えないのだからわからない。

そんな時は、私は赤い絵の具になる。そして、その絵の上を塗る。すると、絵がはっきり見えてくる。近くに書いてある他の絵と見比べられる。

「結構いいかも」あるいは、「自分ってすごい絵が下手くそなんだ」などと気づく。そこまでいって初めて、「自分はもっと絵が上手くなりたい」とか、

「絵を書くことには興味がない」とか判断ができるようになってくる。


ある時は、絵は赤い紙に赤いクレヨンで書かれているかもしれない。その時、私は白い絵の具になる。

絵が透明なフィルムに黒いペンで描いてあるなら、私は濃いめの色紙になる。その絵の下にそっと入れば、見え方が変わる。こんな風にも見えるんだ。

こんな風に見せたい、じゃあ次はこうして見ようかと思うきっかけになれるかもしれない。


私は上手い絵が描けないし、どんな絵を描けばプロになれるかはアドバイスできない。

だから、上手い絵が描けて、見る人を魅了させる人を尊敬している。

その人がある絵を気に入って、「君の絵には素質があるから、私が世間に認められるように育ててあげる」というのも、一つの教育の形だろう。

素晴らしい絵に心を打たれて、その人のようになりたくて成長しようとしている人に、私ができる教育はない。


私には決まった原型があるわけではなく、白い絵の具になることもあれば、赤い絵の具にもなるし、紙にもなるし、時にはその人そのものを見せるために鏡になることもある。そういう形で、人を導くこともできるはず。

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主張が激しくない、色があまりない(と自分で思っている)自分だからこそできる形があります。

教育に興味があるけれど、同じような理由で自信が持てない人がいたら、参考にしてみてほしいです。