(1941年12月8日未明

山本五十六連合艦隊司令長官率いる日本海軍は、
空母6艦→「旗艦赤城」「加賀」「蒼龍」「飛龍」「翔鶴」「瑞鶴」から
約200機の攻撃機を発艦させ、ハワイ島パールハーバーを奇襲しました。

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奇襲は成功し、米軍太平洋艦隊に属する艦船のほとんどが沈没又は航行不能となりました。
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日本海軍には2つの最新兵器がありました。
ひとつはゼロ式艦上戦闘機
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もうひとつは酸素魚雷です。
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初戦からしばらく日本軍が優勢でしたが、
工業力が100倍の米軍に物量で勝てるわけがありません。
逆に日本軍は熟練した兵隊が次々に戦死し、戦争末期には学徒が動員され、
遂には片道だけの燃料を積んで「敵艦」に体当たりする。
戦略も戦術も作戦もない、特攻が行われたのです。

俺は東京に行くたびに「靖国神社」にお参りしてきます。
何故なら
今の俺たちが平和に生活できるのも、太平洋戦争で亡くなった方々のおかげだと思うからです。


太平洋戦争を政治的な側面でみると

・日本軍による満州国樹立
・開戦前の「ハル」ノート
・日独伊三国軍事同盟
・日本のABCD包囲網・石油輸出禁止・経済制裁
・東条内閣
・ソ連への仲裁交渉
・ヤルタ会談
・ポツダム宣言

その他いろいろありますが

 その影には、母国「日本」を、お父さんやお母さん、妻や子供を守るために、
最前線で命を落とした多くの兵士がいたのを、
俺たち日本人は決して忘れてはいけません。

日本軍の作戦には無理がありました。
 インパール作戦やガダルカナル島奪還作戦では補給を考慮せず強行され
多くの兵士が命を落としました。
 また、レーダーは日本人が開発したにもかかわらず、
米軍に実用化の先を越されて、空母や戦艦、戦闘機の多くを失う主原因になりました。

戦況は、日本軍の戦略のまずさ、兵器技術の劣勢から
圧倒的に日本軍に不利だったのです。
しかし、それにも関わらず、食べるものもなく、撃つ銃弾もなく、
マラリアやコレラに苦しめられながらも多くの兵士が、
我々の幸せを願いながら命を落としたのです。
中には17歳、18歳。。。。で特攻機と共に死んだ青年もいます。

靖国神社には、春。
桜の花びらとなって亡くなった兵隊さんが戻ってくると言われています。
本当はその時期に、靖国神社に詣でて桜の花に感謝をしたいのですが、
なかなかそうも行きません。
せめて、東京に行ったときに靖国神社に出向き、
娘や息子の時代もどうぞ日本を守っていただくように、
そして今ある幸せに感謝するNKです。

ありがとうございます。兵士の皆さん。そして安らかにお眠りください。
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