流山には「平和台」という地名があります。流山の鉄道、
流鉄に駅もあります。
平和台の近くで仕事をしていたことがありますが、
当時は全く感じませんでしたが、ずいぶん崇高な名前だなぁ
と今更ながら思います。当時は、「平和」という言葉があまり
ピンとこなかったのかもしれません。
昔行ったことのある宮崎市の平和台というところには
「八紘一宇」の石碑が戦前に建てられていて、戦後、そこが
「平和台」と改称されたというエピソードがありました。
しかし、この流山の平和台は、そういうエピソードは
無いようです。Wikipediaによれば、平和不動産という会社
に由来する名前だとか。
会社のホームページを調べると、1965年に「流山平和台」
と記されていました。証券取引所の施設を中心に事業を展開
していた平和不動産が新しく住宅供給事業に乗り出した最初
の頃の事業のようです。
1977年には「布佐平和台」とあります。これは
近所の我孫子市ですね。
平和不動産という会社は、1947年に証券取引所のビルを
所有する会社として生まれたそうで、「平和」という言葉自体
は戦後初期の空気を反映したものであることは確かなようです。
流山の平和台の桜が咲く公園で、子ども達が楽しそうに遊んで
いました。もう薄暗くなってきていますが、春休みの終盤、
時を惜しむかのように遊び続けています。ああ、なんか
懐かしいなぁと思いました。
ふと、世界で戦火の下で悲しんでいる子ども達がたくさんい
ることも思いました。そうした地域の子ども達にも笑顔が戻
ってほしいと思います。
昨日は野田市で夕暮れの桜を見て、今日は流山市で夕暮れの
桜。用事で移動中に瞬間、立ち止まるだけでしたが、少しだけ
ではあるものの、「お花見」の時間になりました。

