明後日から、学校に通う…

いままでやりたかったことだけに、勇気が必要だった…

先々日入学式があったけど、年齢もみんなさまざま…

でもどこか希望というか同志というか呼吸があっている気がする…

周りの境遇はさまざまだろうが、ボクには一分も猶予はない…

規則正しい生活をして、夕飯をつくることとスキップの朝晩の散歩は必ず、やろう…

いままでの5か月の貴重な時間を大切にして…


「朝6時に起きること」


守れよ!!!!!!




TBSの「今夜はヒストリー」を観て思った。

 テーマは豊臣と徳川の最終決戦第1弾「大阪冬の陣」。

 このテーマは、滅びゆく豊臣の斜陽的展開が時間を追うごとに繰り広げられ、豊臣側のお家事情による拙攻と、淀君のその人間的欠陥がゆえ、戦闘の体をなしていないヒステリックな面に終始するのと、関ヶ原で破れ主人を失った「負け組悪あがき的浪人VS時勢を読んだ勝ち組大名」の図式が繰り広げられ、見るのがいつも嫌になってくる。

 冬の陣は、家康の巧みな心理作戦(女心をうまく利用した)で見事作戦どおりに和睦へと結びつけるわけだが、冷静沈着な古狸家康とヒステリーのまま和睦を余議なくされた淀君の絵が定着している。

 だが、家康はやはり勝つべくして勝ったわけで、物事の定理どうりに結したにすぎない。

 というのは、「家康は普段の生活からすでに秀吉に勝っていた」と思うからだ。

 質素な生活だったらしい。一汁三菜の食生活と鰯を食し、自らの体を大切にしてきた。62歳で征夷大将軍に任じられ(清和源氏系譜は定かではない)幕府を開いたあとも、わずか開幕から2年で将軍職を息子秀忠に譲り、大御所になった後も肉体鍛錬怠りなく、剣(柳生新陰流)と弓の鍛錬を欠かさなかった。自ら薬を処方し、自分の体が弱ってきたと思えば薬を調合して服していたという。薬に関しては徳川家内のどの医者よりも知識があったらしい。 

 かたや秀吉は贅沢三昧な生活。世の中の貴重な食べ物を好きなだけ食し、おそらく剣や弓の鍛錬などするはずもなかっただろう。それが祟って61歳で生涯をとじたわけだが、死に際には不安しかなかっただろう。 

 家康は寿命、こと自らの命を一番気にしていた。幕府を開いたとはいえ、最後の大いなる力、「豊臣家」を滅ぼすまでは、死ぬわけにはいかない。いや陣頭指揮を振らなければならないという使命感があった。そのための「超健康おたく」だったわけだ。それが効して冬の陣では73歳で自ら指揮を振るった。 

 やはり、自らいまやらなければならないこと、人生の長いスパンを見据え、今の生活を考え、日々を生きることが大切なのだ。思いつきではなく「続ける」ことが大切なのだ。

 秀吉も律した自己の研鑽と確かな目標さえあれば、もしかして豊臣幕府は実現していたのかもしれない…                                    2011.10.19

『山本太郎「事務所、辞めました!これ以上迷惑かけられない」福島の子どもたちのため覚悟の決意表明』
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110527-00000042-flix-movi

 山本太郎さんを孤立させてはいけない。

 原発に反対すると仕事をとりあげられ、どのテレビ局からも締め出されてしまう(NHK以外)。結局都合のいい人畜無害の口当たりのいいタレントしか使わない。芸能界はやっぱり意識の低い、右にならえの閉鎖的な場所。真相はよく分からないが、どうも気にかかる。


 マスコミは全くルポしない。何を活動しているのか報道すらしない。10月6日のNHKの『あさイチ』にひさびさに出演していたが、全く原発活動については触れないのも違和感が…


 脱原発・反原発こそがカッコいい、むしろ、原発賛成のほうが干される。社会の価値観を逆転させよう!