しつけは大切。


親はうるさくしつけるもの。僕も子供のころは親がとにかくうっとうしかった。反抗ばかりした。


ところが社会にでるとそれはダイアモンドのように輝きだす。

 

裁縫で「仕付け縫い」ってあるけど、その作業をしてから本縫いをすると 仕付け糸をほどいてもばっちり型の整った着物ができる。


なぜ、こんなことを書いているのかというと、現在の親たちは、あまりにも自分のことばかり考えすぎているような気がする。


しつけなのか、自分の思うように子供を手なずけたいのか分からない。


自分がしつけられていないから、わがままばかりで育ってきたから、社会に出ても、形のいびつな着物なのは当然だ。


そんなヘンテコな着物ばかり作る親が多い気がする。














 2014ソチ冬季オリンピックも佳境をむかえている。

 女子フィギアスケート浅田真央さんのSPでの演技は、メダルを意識しなかったからこそできた渾身の演技だ。


 金メダルを獲るという本人のモチベーションは、SPでの失敗により途絶えてしまった。演技直後の彼女は放心状態で、もうFSで演技する意味さえなくなってしまったようだった。本人の気持ちを考えると、もうスケートから逃げ出したくなったに違いない。次の日の公開練習にも遅刻してきたらしい。眠れなかったのだろう。

 名伯楽佐藤コーチや姉、舞に叱咤されたこと、友人の激励があったという。

 正直、メダルが絡まない争いには、僕自身興味がなくなるとさえ思った。だが、違っていた。そんなことはどうでもよく、真央さんが満足できる演技、彼女のくったくのない笑顔が観たいという、オリンピックを観戦する上で今まで体験したことのない感覚を味わっていた。


 次の日、彼女は再び昨夜と同じ銀盤に立っていた。


 周囲の心配をよそに彼女の演技は息をのむ素晴らしいものだった。すべての動きに力がみなぎり、動線が残像となって見えるくらいだった。きらきら輝いて見えた。ラフマニノフのピアノ協奏曲の旋律の上を優雅に滑っていった。

みんなが夢に描いた浅田真央がそこにいた。

フィニッシュポーズでの感極まった表情が、すべてを語っていた。


 なぜ、あんな演技ができたのか?


 本人はメダルが欲しい!日本国民は獲らせてあげたいの一点だった。真央さんが金を獲るために、完璧な演技を期待し、他国の選手が失敗することさえ望んだに違いない。

 国民は金を獲ることのみを望んでいた。ただただ、真央さんに獲って欲しかった。

 しかし、そのことが彼女を追い詰め、体を硬直させ、思考を混乱させ、大失敗へと結んでしまった。結果的に本人のやりたい演技ではなく、メダルを獲るためにやらされてる演技になってしまった。本人も国民の期待に答えたい!そのためには、金メダルを獲るしかない!と追いこみ、金奪取の目標をかかげ、この4年間、自分の生きる原動力にしていた。それが、SPの演技の失敗で、壊れてしまった。もう、彼女の心は折れてしまった…やってしまった…と。


 そんな失意から一転、この迫真の演技である。


 彼女の努力と偶然的な環境の変化と様々な感情が支配する心とが巴となって生んだ、奇跡にも似た4分間だ。


 メダル争いの呪縛から解かれた彼女は、本当に自分がやりたい演技ができた。


 スコアには賛否ある。詳しい採点法は分からないが、中盤グループの演技なので冷静で坦々と採点されたと思うし、妥当なスコアだと思う。最終グループでの演技は別格で、会場の雰囲気、メダルが絡む点、開催地贔屓の点にスコアラーの採点は大きく左右されるだろう。人間が評価するのだから仕方ない。


 そもそも、最速とか最長とか最強というオリンピック誠心からすると、フィギアスケートをはじめ、モーグルとか、スノボなど他の冬の競技種目も演技構成点とか出来栄えとかが評価されるように、本質からだいぶかけ離れてしまっている。ショー的、興行的要素が先行しすぎな感は否めない。


 それに、メダルありきになってしまっているのも問題なのではないか。

いまマスコミは日本のメダル獲得数は8個!冬季最高の数です!と言っている。浅田真央さんの演技を観た今は、あまり関心がない。よく、コメンテーターいう

「次のこの種目、メダル獲得に期待したいものです」

も、あまり好きではない。

 浅田真央さんの今回の演技は、採点するという域を超えていた気がする。採点の意味さえ無意味だと言えば言いすぎでしょうか。


 でもやっぱり内心は…


 真央さん金メダル欲しかっただろうなあ~!

世界で唯一の被爆国の日本は、今、世界の旗手となって、原発を放棄し、リーダーを宣言すべきではないでしょうか?世界もそれを望んでいると思います。
「永遠の0」を読みました。涙で文字が追っていけなくなりました。
今の日本は、信じがたい人数の命の犠牲のうえに成り立っています。あの時代を生きた人々は、今私たちが生きている、この時代を夢見ていたと思います。
死ぬことを選ばざるをえなかった時代…安心して何も考えず眠る日はなかったでしょう。
時代はずっと繋がっていきます。いまを生きる私たちがしないといけないことは、犠牲の上に成ったこの平和を謳歌することではなく、未来を生きていく人々の安心な生活を願い、考え、行動していくことです。