この事実は、遠い将来、歴史の教科書に載るだろうか?

小澤征爾は終戦時9歳だった。誰か身近な大人から原爆の真実を聞かされたとは思えない。今90代後半以上の日本人は、戦後も河童の暴虐を見聞きしながら、子供にも孫にも教えることはできなかった。

 

前回の記事『拍』に書いた、今年グラミー賞を受賞した映画オッペンハイマーのサウンドトラックは、そんな日本の永続する憂鬱な沈黙の理由を明解に表現した感動的な芸術作品である。スウェーデン出身の作曲家Ludwig Goranssonは、曲の途中で印象的に変調するテクニックが優れていると思う。

 

 

日本の大人が教科書に書けない歴史を、このアルバムが美しい音楽で日本の若者に教えている。例えば2曲目のCan You Hear the Music?の長調の出だしは、4曲目のQuantum Mechanicsにも使われ、それはHanonのピアノ運指練習曲と似た繰り返しで、河童の永遠の未熟さを象徴しているようだ。10曲目のAtmospheric Ignitionは曲名自体が原爆の真実を表していて、ラストに現れる祇園祭の囃子コンチキチンの鉦と似た音色は、日本列島を何千年も前から包んでいるatmosphere雰囲気そのもの。気狂いは自分が気狂いなのがわからない。その狂気は人類史上最も哀れな怪異である。23曲目のDestroyer of Worldsは、全人類を苛む残虐性に満ちた涅槃の狂気に対する断固とした正気の誇りを高らかに表現している。

 

スウェーデンと言えば日本人が大好きなノーベル賞。スウェーデンを舞台にしたこの映画は今Netflixで配信中。冒頭の雪に覆われた住宅地に電話が鳴り響き、ガス管を口にくわえた場面、そしてラストシーンのこの笑顔で、日本の狂気が人喰い人種河童と共存する故の運命だと示している。

 

 

『雪国』でノーベル文学賞を受賞した川端康成は、旅館の一室でガス管を口にくわえて死んでいるのが発見され、ガス自殺と断定された。日本人が忘れた文豪を世界は覚えている。この映画は、人喰い人種河童の吐き気を催す滑稽さを容赦なく描いて、最後の笑顔で「馬鹿馬鹿しい!」と皮肉っている痛快コメディホラーなのだ。河童が人間に恐れてほしい一心で残虐行為を繰り広げれば繰り広げるほど、人間に軽蔑され相手にされない、それが悔しくて残虐行為をやめられない河童を恐れて従順に従ってきた日本人の子孫が今生きている日本人の大半である。河童を恐れなかった日本人は、川端康成のように殺されたから。

 

同じ女優Florence Pughが主演したこの映画も、Netflixで配信中。鳴り響く電話でサイバー拷問を示し(前回の記事で書いたTaylor SwiftのMidnights収録曲Anti HeroのMVも電話を効果的に使っている)、無線周波数で人の脳神経をリモコン操作し異常な言動をさせ拷問殺傷して遊んでいる河童への軽蔑が随所に表現されている。サイバー拷問の被害者は、自分の首をナイフで切らされたり、顔にラップを何重にも巻いて窒息させられたり、幻覚や異様な悪夢を見させられる場面を他人事とは思えない。

 

 

この映画は脳にチップを入れてリモコンロボット化するStepford Wivesの何十倍も正確に痛烈に河童のサイバー拷問犯罪を暴いている。予告編にある「みんな私が気狂いみたいに行動するけど、私は気狂いじゃないわ」というセリフは、自分が気狂いだと気づかない日本人の態度そのものでもあり、タイトルの「心配しないで」は河童への皮肉だと気づく日本人は、世界の大人の異常心理戦略を知っている。この映画はその戦略の一つとして、河童がサイバー拷問では世界を支配できないのに今さらやめたら悔しいから続けている愚劣さを登場人物に二重に映し出している。

 

監督・出演のOlivia Wildeが、地震の時にthe boys' toysと嘲笑するセリフは、河童のおもちゃ電波兵器を揶揄っていることに気づきたくないのが日本人。「そんな残虐なこと、日本人にはできない」と無邪気に言い続ける哀れなナルシシズムは責任逃れの卑怯さとしか思われない。マリリン・モンローという河童のサイバーポルノ女優はアメリカを貶めることもできず、ただ日本の白痴を世界に宣伝しただけに終わった不都合な事実もこの映画で描かれているが、それを認めることは日本人の自惚が許さない。

 

この映画で重要な役を演じ、印象的な曲を提供したHarry Stylesが一昨年リリースしたこの曲もサイクロトロンを悪用し続ける河童と知らないふりをする虚弱で極悪な日本人へのメッセージである。