涅槃人は、トランプ劇場を理解できない。リブログした記事に書いたように。

 

 

何故、$88.3 millionなのか理解できるなら、涅槃国は存在しない。8+8+3=127と計算する河童に対する世界の軽蔑を涅槃人だけが知らない(ふりをしている)から、涅槃円は永遠に弱い。涅槃国がG7の一員なのを心底恥ずかしいと思う涅槃人は世界一孤独。

 

 

河童のサイバー犯罪は、世界の優秀な大人たちを進化させ、裕福にしている。河童が世界中で電波で人類をいじめる度に、涅槃は衰退し、貧乏になる。

 

 

世界は河童を支える涅槃国への軽蔑に満ちている。それを楽しんで芸術的に表現しているのが、巨匠マーティン・スコセッシであることを、この映画で確認した。

 

 

インディアンも白人も対等に石油の富を争った史実を描いているこの映画は、アメリカ先住民を白人が迫害し差別したと主張し、アメリカへの逆恨みを晴らしたがる愚劣な人々への軽蔑である。同時に、アメリカ連邦政府の事態収拾力への賛辞である。

 

この映画は涅槃で公開され、クリストファー・ノーラン監督のヒット作『オッペンハイマー』は公開されていない。涅槃人の無知蒙昧はひたすらみっともない。

 

そのみっともなさを、今Netflixで観られる2019年公開の史実に基づいたこの映画でも確認した。

 

 

河童のサイバー拷問で殺人鬼化されたボニー&クライドを連邦政府がどのように退治したのかを克明に再現し、セリフの端々、車のナンバー、紅白などで、河童の犯罪だったと暗示している。

 

赤い帽子、赤い服、赤い靴の小柄な少女ボニーは、河童の残忍な狂気をアメリカに見せつけていた。

ケビン・コスナーが演じる主人公のテキサス・レンジャーのセリフ「彼らはもう人間じゃない」の通り、ボニー&クライドは人喰い人種河童のサイバーロボットにされていた。

予告編では赤い歯ブラシを持っているが、本編では持っていない。

車のナンバーが何度も大写しになる。690-1R4は河童のパープル暗号では6+1+4=47

別の車のナンバーは予告編にはないが、772-507で127になる。

 

何も知らない涅槃人は、47と127をどれだけ河童が世界に宣伝してきたか史実を挙げて説明しても、理解できないだろうし、理解したとしても何もできないからただ呆然とするだけ。

 

「どんな気狂いか説明したら、僕が気狂い扱いされてしまう。そういう気狂いなんだよ」と河童のサイバーロボットに1980年12月8日に殺されたジョン・レノンが言った通りのこと。

 

ジョン・レノンは一体何故、オノ・ヨーコと結婚したのだろうか。

 

レオナルド・ディカプリオが演じる第二次大戦帰還兵を運転手として雇い、結婚する石油成金のインディアン女性は、「君の肌の色が好きだ。その色は何という色?」と聞かれて、モナリザのような無表情で「私の色」と答える。死にかけるまで夫に毒を盛られていたことに気づかないふりをしていた彼女の心の病にゾッとする。この女優の演技力を引き出したスコセッシの天才に脱帽。

 

ケビン・コスナーが演じるレンジャーの妻は、殺人鬼を始末する任務を与えられた夫の身を案じ、怒りを込めて「壁紙を貼り替えるわ。黄色に」と言う。このセリフだけで、第二次大戦後も河童と戦わなければならないことにアメリカがうんざりしていたとわかる。

 

人喰い人種河童は、1日も欠かさず、白人が優れていることを証明し続けている。