日本人がMerry Christmasを陽気なクリスマス、または楽しいクリスマスと訳せないのは何故なのか。

 

 

リブログした去年の記事に、1916年12月9日に50歳で河童に殺された夏目漱石の断筆『明暗』について書いたが、不動明王とは何か正しく理解していた漱石は、ロンドンで逆ホームシックに苦しんでいたに違いない。戦前から日本軍部にアガサ・クリスティーの原書を読むことを禁じられ、探偵小説を書くことも禁じられて苦しんでいた横溝正史が真珠湾攻撃の一報を聞いて吐き気を催したのと同じ理由で。

 

不動暗王を気取る河童であるサイバー拷問の加害者は、クリスマスを愛している。この愛とは、夏目漱石の「英語のLoveは日本語に訳せない(日本にはその概念がないから)」という理解があれば、河童が何百年もクリスチャンを目の敵にしてきた通り、到底敵わない大きな相手に対する狂った羨望であることがわかる。

 

9/11テロの後、ある英国人が私にこう言った。「日本人のクリスマスはpsyche(精神、心)がない」


毎年、クリスマスシーズンには海外のミュージシャンが歌うクリスマスソングを楽しんでいるが、今年はこの人の歌声が一番心に響く。それは河童がキリストという永遠の王に打ちのめされた気分になるのとは違うが、日本という唯一の暗黒の涅槃列島に生まれた、たとえようもない虚しさをはっきりと認識することである。夏目漱石はロンドンでそれを思い知ったから憂鬱になったのだ。

 

 

河童が1941年12月7日に真珠湾攻撃をする前に、多くの日本人がクリスマスソングを聴いていたに違いないので、いったい何故こんな偉大で美しいクリスチャンの国アメリカに戦争を仕掛けたのか、心底恥ずかしいと苦しんだ横溝正史のような日本人はどれぐらいいたのだろう。ごくわずかだったから、夏目雅子が殺されたのは9月11日で、真珠湾攻撃60周年の2001年があった。

 

岡本太郎は「今までになかったものは、これからもない」と書いた。それは、今までにあったものは、これからもあり続けるという意味でもある。

 

不動明王の英米を、不動暗王の河童が鬼畜と呼び、それに異議を唱えない日本人が大半だったという史実は戦後何も変わらず今もあり続けているし、未来永劫、全世界が知っている河童の存在を公認しない日本人が大半であり続けるだろう。

 

美しい海外のインスタグラムの投稿の間に、醜い日本の広告を見続けなければならない憂鬱を、夏目漱石の脳をホルマリン漬けにして保存してあるという東京大学のエリートたちは、決して研究課題にはしない。

 

映画『オッペンハイマー』を日本で公開しないことは、戦前にアガサ・クリスティーを読むのを禁じたことと全く同じ理由だということ、核兵器とは電波兵器であることを、日本の若者は知る権利がない。

 

Merry Christmas & A Happy New Year !