今はもう瞬間、過去なんです、だからたった今も過去のこと、今も分析しない、ジャッジしない‼️
私たち人間はどうしても過去にこだわる、もう済んでしまったことなのに、、、
しかし、現われたということはそれで過去、過去世の精算は終わったのです。
それも大難が小難になって、死ぬところが大けがもしくはかすり傷で済んだ、1億円の借金になるところが数十万で済んだ
これは、守護霊様、守護神様が光をあてて、カルマ(業)を消してくださったのです。かわいそうだからと薄めてくださったのです!
オマケをしてくださったのです。
でなければ、今、こうして生きているわけがない(笑)
過去世で自分は何をやったのだろう、なんの因果なんだろう?
まだ、残っているのか?
なんて、考える必要はありません!分析なんてナンセンス‼️
なぜかって?
人間は、何千、何万回も輪廻転生しているので、今、現われていることが、どこのいつの過去世だったなんて永遠に見つけられるわけがないのです。
それにも増して、縁者さんの過去世も背負っていることもある(貴方は消すだけの大きな器があるから、理不尽と言えば理不尽、だけど貴方の魂はそのことを覚悟の上で地球に降りて来たのです!)
どうですか?
悔いても仕方がないでしょ
考える時間がもったいでしょ
考えること、ジャッジ(判断)すること、分析することをやめて前を向きましょう!
前進しましょう!
目はなぜ、前に付いているか?
それは前だけを見る👀ためです。
【 五、因 縁 因 果 を 超 え る 法 】
弘法大師が、同行二人(どうぎょうににん) 、といったのは、この人間生活は自分一人で生きているのではなく、守護霊と二人連れなのだ、神様と一緒に生きているんだ、ということで、キリストの、神常に汝と倶にあり、という言葉と同じである。
ただ、一般の人たちに、神、という風に、あまりに大きな、高い感じのものより、守護霊という、自分自身と直接つながりを持つ、祖先のしかも力ある霊が背後で常に守ってくれている、と思うほうが非常な親近感で、念じやすく、かえって神に統一する環境になりやすい。
また、現象に現われた、病気や、不幸を、これはいかなる過去の心の現れか、と精神分析して反省するよりは、現われた悪い事態は、すべて、過去の業因縁が、形に現われて、消えてゆく姿なのだから、この苦しみが済めば、必ず、一段善い環境になると信じ、それと同時に、守護霊さんが守っていて下さるのだから、必ず善いほうに、善いほうに向っているに違いないと信じることである。
過去の因縁を分析すると、自分を痛めやすいし、気持が暗くなって、神から離れがちになってしまう。
神は光なのだから、常に明るい心の人を喜ぶ。
— 神は愛なのだ、光なのだ、私は常にその愛と光の中に生きているんだ、しかも守護霊さんに守られながら生きているんだ、過去はない。
過去は消えてゆく。どんな苦しみも必ず消えてゆくんだ — と、過去の心の誤りなぞ、穿(ほじく)り返えさずに、ただただ、光明のほうに、心を向けていることが、自分を救い、人を救う、一番大切なことなのである。
愛と許(ゆるし)の世界をみんなで創(つく)ることが大切だ。
自分を愛し、人を愛し、
自分を赦し、人を赦す、
これが業(カルマ)を越える最大の道
みんな、いたわり合い、励(はげ)まし合い、
足りない智慧や力は、守護霊さんにおまかせしよう。
守護霊さんが、きっとうまくやってくれるに違いない。
( 五井昌久著 『神 と 人 間 ー安心立命への道しるべ』 白光出版 )
本文の中から抜粋‼️
24、
あなたの長い間にわたる苦しみは私にはわかっている。
あなたの悲しみや痛みも私にはすべてわかっている。
そして更に今あなたの上に投げかけられている不安恐怖、今のあなたの立場ではどうしようもないのもわかっている。
私はいつでもあなたの心の叫びを聞き、訴えを聞き、その問題解決が一刻も早からんことを願い奔走しているのである。
だがあなたはこの私の心を知ってか知らないでか、常に自分自身の肉体の力でのりこえようともがいている。
だがよく聞いて欲しい、もはや肉体界でトラブルが現われはじめたということは、もう何年も、いや何千年も前に幽界で現れていたことを。
幽界で浄めることが全くできなかったが為に、この肉体界に現れはじめたのであるということを。
そのためにはまず幽界を浄め去るのが先決である。
それが出来るのはこの私である。
霊なる力で、霊なる光で、幽界を浄めれば、自ずと肉体界のすべてのトラブルは自然に解決されるものである。
私に頼りなさい。私を信じなさい。あなたが夢をみているその時ですら、私は闇を光に変える働きをあなたの為にしているのです。
あなたはあなた一人で生くるに非ず、私の生命と共にあって生くるなり。
6、羨望の心が湧くのも致しかたない。
嫉妬心にもだえるのもまたこれ仕方がないではないか。
そして人の幸福を妬み人の不幸を心ならずも喜ぶのもまた致しかたない。
人の心は感情によって左右されるものであるから、感情を無くさない限りこのようなことはすべて人の心の中に起こり得る現象である。
この世は物質肉体の世界、完全なる霊なる世界と違って不自由な束縛ある世界、よくないことだと充分にわかっていながら、正しいことではないと充分に理解していながら、神から反している行為だと充分に納得していながら、やはり現れてくるのが現実なのである。
おさえる必要はない、出すだけ出すがよい。
だが、出来るだけ人に迷惑がかからないように出してゆくのだ。
相手にまともにぶつからず、声を出して私にぶつけなさい、私にどなりなさい、私に非難をあびせかけるがよい。
私はあなたの心が充分にわかるだけに、あなたが愛しくて可哀相でならない。
私の大きな翼であなたを包んであげよう。
癒してあげよう。
心の中にある鬱憤をすべて私に吐きすてるのだ。
私が聞いてあげよう。
私が代わって祈ってあげよう。
あなたがあなた自身で祈れる時がくるまでは。
偽善者 になるよりはよほどよい。
追伸・・・私は昨日、守護霊さんがあまりに厳しいので、気持ちの整理をどうしたらいいのか、わからなくなったので、「これもみんな貴方(守護霊さま)が悪いのだ‼️」と車🚗の中で、大声で、守護霊さんに徹底的に不平不満、罵詈雑言(ばりぞうごん)、非難をこれでもか、これでもか、と叫び続けたのです。
自分でもビックリするくらい罵りました。
守護霊さんが怒って、生命を奪われてもいい
どうにでもなれ!
という心境でした
・・・・・
車🚗っていいですね、どれだけ大声で叫んでもみんな包み込んでくれます。
叫んだ後は、スッキリし「さぁ又、頑張ろう‼️」になっていました。