今、私はある人と会うためにお金を遣っています。
短時間ですが、結構な額になります。
しかし、全く、高いとか、もったいないとかという感覚はなく、むしろ喜んでお支払いしています。
それは、その人に価値があるからです。
素晴らしい人だからです。
その人に投資をして、学び、成長したいからです。
その人は感謝してくれるけれど、「フィフティーフィフティー」なんです!
お金を受け取る人は、もっと自信を持っていい
結果を出しているのも凄い!
あなたにはそれだけの魅力と価値があるのだから
地底人が教えてくれる
遣ったお金は血となり肉となる
地底人 そして、もし、誰かのためにお金を遣ったのなら、それは誰かの価値を上げたことになる
それだけ、あなたの余裕があるということなの。
他の人に何かをしてあげられたということ
他の人のためにお金を遣うときは、その人がしてくれたことへの感謝や、その人からなされた仕事の報酬としてお金を遣うでしょ。
このとき、お金は、ただ、右から左に移動しているだけ。
あなたたちは、それを理解できていない。
だから、自分にはこれだけしか残っていないという考えになる。
お金は遣えは遣った分だけ、その人に、そして自分に価値を与えているということになるの
Q 「お金を与えれば戻ってくる」というのは、そういう考え方なんですね。
余談・・・東京に住む息子は、IT企業で殺人的な忙しさの中で働いています。それだけでも大変なのに、休みの日になんと別の店(飲食店)でも働いているのです。
本人曰く、「全然違う職種だから、気分転換にいいんだよ」らしいのですが、過労死しないかと心配です。
親は、仕事で活躍するなんてどうでもいい、健康第一、元気でいてくれたらいい、と思うものです。
「もし、体が悲鳴を上げたならすぐに辞めて帰って来い!」
「1年くらいのんびりして、リセットしてそこからまた、別の仕事をしたらいい、貯金が無かったら、出してやるから」と言いました。
親として甘いのかもしれませんが、私はそうは思いません。
生きたお金の遣い方だと思っています。
一昨日、息子は妻と電話で話したそうです。
「なんとか乗り越えられそうだ」「楽しくやっているよ」「もし、ダメだったら家に帰れるという安心感がありがたかった」という内容だったそうです。
その時、私は思いました。
お金は減ってないけど、遣ったのと同じ意味(価値)があった
遣ってくれても、遣わなくても同じだったんだ、と
息子には、価値があったんだ(親バカですが)
お金って不思議ですよね
カタチのある物質(物)だけれど
つくづく、エネルギーなんだな、と思います。