「足るを知る」という言葉は中国の大聖者、老子の有名なお言葉なのですが、今の人間にとって一番大切な言葉ではないかと思います。
どういう意味かと言いますと、人間は裸一貫で「おぎゃあ」と生まれてきた、そのときはもちろん財産も地位も名誉もない。
両親も元気で生まれて来てくれたことだけを喜び、なんの期待もしていない。
この世に生を受けたことだけを神様に感謝していたのです。
それだけで赤ちゃんも両親も十分幸せだった。
しかし成長するにつれ、本人も両親も欲が出てきて、「もっとお金が欲しい、稼いで欲しい」「もっとよい暮らしがしたい」「させて欲しい」「もっと人に尊敬され認められたい」・・・・
と欲望が増幅して行くのです。いつも心が満たされていない状態です。心が貧乏なのです。
心の貧乏とは病気なのだそうです。
私たちは、満たされない気持ちを不幸と言いますが、初心に戻ると、「生きているだけでありがたい」「生活が出来ているだけで幸せだ」「朝を迎えられただけでこんなに嬉しいことはない」になるはずです。
「私たちはすでに満たされている、必要なものはすべて与えられている、足りている」と思うのか?
「まだ満たされていない、全然足りていない」と思うのか?
この心境の違いで、自分が今、幸せなのか?不幸なのか?が決まるのです。
コップに入った半分の水を見て、「たった半分しかない」と思うのと「まだ半分もある」と思うのとでは、同じ状況にもかかわらず、幸せ度は全く違うのです。
私たちはもっと謙虚になって「足るを知る」心境に戻らなければならないと思うのです。
『足るを知る者は富めり』
この言葉は、よく言われる言葉なのですが、人間というものには限りがありませんで、金が出来れば地位が欲しくなり、地位が高くなればもっと高くなりたくなり
最高の地位につけば、いつまでもその地位に止まりたいと、種々と権謀術策をして、心の休まる暇がありません。
ですから、足るを知るということは、実に大事なことだと思うのです。
どんなに貧しい生活をしていても、その貧の中で満足して、心を休んじていられる人は、富んでいるも同じ心の余裕というものがあります。
安心立命していられます。
想念を常に物質世界の中に置かずに、神のみ心の中に入れきっている人は、如何なる環境にいても、足ることを知る人であり、心富める者なのであります。
何故ならば、神は無限の富者であるからです。
「老子講義」 五井昌久 白光出版