今、地球上にいる人間は、いろんな星からやって来ている人たちがいるのだそうです。
進化した星である金星(お釈迦さまやキリストさまがそうでした)の場合もあるし、地球よりも精神的に遅れた星から来た人たちもいる。
今の幼い子供たちやこれから生まれて来る子供たちは、地球の大人たちを目覚めさせるために金星よりもずっと進化した星からやって来ているそうです。
だから今の大人たちとは魂の高さが違うのです。(霊位という)
不思議ちゃん 宇宙人 と言われる人たちがそうです。
「この子たちは、自分たちと全然違う なんてピュアなんだろう?」 と大人たちは光を浴びてショックを受けるのです。
この子たちは、進化した星から光をたくさんたずさえてやってきたからです。
そして進化した星からやって来る魂たちは、自分たちの意志で宣言をして地球にやって来ている。
・・・・・・・
宇宙というのは、波動の世界です。
同じような意識(心)を持った魂たちが共鳴して同じような魂たちが集まっている。
高い魂たちが住んでいる星は、素晴らしい人(霊止)が集まっている、愛の深い善い人(霊止)ばかりが集まっている。
だから地球のような争いも嫉妬も妬みも怒りといった感情がなく、非常に居心地がいいのです。
ずっと温泉に浸かってるようなものです。
そこを天国(神界・天界)というのです。
しかし、その天国での生活が嫌で脱け出したい魂たちがいるのです。
「こんな刺激のない安心し切った生活はもううんざりだ、どこか遅れた(精神的に)星に行ってその星の進化に貢献したい」
そして
「そのためにはどんな苦労、試練も覚悟の上だ」
と決意し宣言するのです。
金星からやって来たお釈迦さまやキリストさまもそうでした。
その頃(中世)の地球は今よりもずっと人間の心が荒んでいて、目覚める人も少なく、教育も行き届いていなかった、高い教えを理解出来る人も僅かだったのです。
それでも懸命に真理を説いて回った。
このような聖者たちがいたから今の地球はまだもっているのです。
お釈迦さまやキリストさまは、同じ金星の魂たちから一目も二目も置かれているのだそうです。尊敬されているのです。
霊位というのがあるのですが、金星の中でも別格なのです。
それは、「あんなに汚れた地球に行った」 という勇気を讃えているのです。
誰もが嫌がるような苦労を承知で、それでもあえて行った
そのままずっと金星にいてもいいのに・・・・・
きっと
「あっぱれ!」
なんでしょうね。
そして今、お釈迦さまやキリストさまのような魂たちが地球上にたくさん降りて来ているのです。(この文章を読んでいる貴方がそうです)
それもやっぱり宣言をして
だから
今、私たちが悩んでいること、苦労していること、苦しいこと、嫌なことがたくさんあることは全部織り込み済みなのです。
わかっていたことなのです。
ただ、記憶を無くされているからわからないだけなのです。
もちろん地球上の人間が全員が全員そうではありません。
地球で何回も輪廻転生をして、神様がわからない人もいる
地球よりも遅れた(精神的に)星からやって来ている幼い魂たちもいる
そして、地球よりもずっと進化した星からやって来ている高い魂たちもいる
地球上には、このようないろいろな段階の魂を持った人たちが一緒になって暮らしているのです。
意識が違う、考え方が違う、感性が違う
だからすぐには判り合えないのです、噛み合わないのです、共鳴しないのです、理解出来ないのです、二元対立するのです、判り合えないからいらだって怒り狂う(感情的になる)のです。
・・・・・・・
でも進化した星からきた魂たちはそれをそのままにはできない
それは対立した魂を融合させて、愛に進化(変化)させることがミッションだからです。
だから人を愛そうとします。
どんなにひどい目にあっても、人を愛そうとすることをやめないのです。
そして安定を求めません、安定は今まで居た星でもう散々経験したことだったからです。
もちろん、不安定な状態、不調和な状況を喜んでいるわけではない
誰でも苦しいのは嫌です、貧乏も嫌です、病気になるのも嫌です。
そんな状態のときは誰でも安定を求めます。
しかし、魂の奥底では、不安定(変化)を望んでいるのです。
不安定の中から何かを学ぼうとしているのです。
そして不安定を克服して、やっと安定になったとき(心も状況も)
至福のときを迎えるのです。
「地球に来てよかった」
・・・・・と
試練や苦悩は過ぎ去ってみれば懐かしい思い出です。
「あの頃は確かに大変だったけど、結構楽しかったよなぁ」
と振り返ることが出来るのです。
だから今受けている試練をそんなに深刻に受取らないでください。
すべては、善くなるためのプロセスです。
魂を成長させるための神様からのプレゼントです。
プラスから出たマイナスです。
「自分は今の状況になることがわかって、受け入れて生まれて来たんだ」
「今の状況は自分にとってベストなんだ」
「魂が成長することが本当の幸せなんだ」
「だから必ず乗り越えることが出来るんだ」
と思うことが大切だと思うのです。
岐路にたちつつ
動物園の動物は、食べる不安は何もない。 他の動物から危害を加えられる心配も何もない。
決まった時間に、いろいろと栄養のある食べ物が与えられ、保護されたオリのなかで、ねそべり、アクビをし、ゆうゆうたるものである。
しかしそれで彼らは喜んでいるだろうか。
その心はわからないけれども、それでも彼らが、身の危険にさらされながらも、果てしない原野をかけめぐっているときのしあわせを、時に心に浮かべているような気もするのである。
おたがいに、いっさい何の不安もなく、危険もなければ心配もなく、したがって苦心する必要もなければ努力する必要もない、そんな境遇にあこがれることがしばしばある。
しかしはたしてその境遇から力強い生きがいが生まれるだろうか。
やはり次々と困難に直面し、右すべきか左すべきかの不安な岐路にたちつつも、あらゆる力を傾け、生命をかけてそれを切り抜けてゆく ━ そこにこそ人間としていちばん充実した張りのある生活ともいえよう。
困難に心が弱くなったとき、こういうこともまた考えたい。
「心をひらく」 松下幸之助 PHP
進化した星である金星(お釈迦さまやキリストさまがそうでした)の場合もあるし、地球よりも精神的に遅れた星から来た人たちもいる。
今の幼い子供たちやこれから生まれて来る子供たちは、地球の大人たちを目覚めさせるために金星よりもずっと進化した星からやって来ているそうです。
だから今の大人たちとは魂の高さが違うのです。(霊位という)
不思議ちゃん 宇宙人 と言われる人たちがそうです。
「この子たちは、自分たちと全然違う なんてピュアなんだろう?」 と大人たちは光を浴びてショックを受けるのです。
この子たちは、進化した星から光をたくさんたずさえてやってきたからです。
そして進化した星からやって来る魂たちは、自分たちの意志で宣言をして地球にやって来ている。
・・・・・・・
宇宙というのは、波動の世界です。
同じような意識(心)を持った魂たちが共鳴して同じような魂たちが集まっている。
高い魂たちが住んでいる星は、素晴らしい人(霊止)が集まっている、愛の深い善い人(霊止)ばかりが集まっている。
だから地球のような争いも嫉妬も妬みも怒りといった感情がなく、非常に居心地がいいのです。
ずっと温泉に浸かってるようなものです。
そこを天国(神界・天界)というのです。
しかし、その天国での生活が嫌で脱け出したい魂たちがいるのです。
「こんな刺激のない安心し切った生活はもううんざりだ、どこか遅れた(精神的に)星に行ってその星の進化に貢献したい」
そして
「そのためにはどんな苦労、試練も覚悟の上だ」
と決意し宣言するのです。
金星からやって来たお釈迦さまやキリストさまもそうでした。
その頃(中世)の地球は今よりもずっと人間の心が荒んでいて、目覚める人も少なく、教育も行き届いていなかった、高い教えを理解出来る人も僅かだったのです。
それでも懸命に真理を説いて回った。
このような聖者たちがいたから今の地球はまだもっているのです。
お釈迦さまやキリストさまは、同じ金星の魂たちから一目も二目も置かれているのだそうです。尊敬されているのです。
霊位というのがあるのですが、金星の中でも別格なのです。
それは、「あんなに汚れた地球に行った」 という勇気を讃えているのです。
誰もが嫌がるような苦労を承知で、それでもあえて行った
そのままずっと金星にいてもいいのに・・・・・
きっと
「あっぱれ!」
なんでしょうね。
そして今、お釈迦さまやキリストさまのような魂たちが地球上にたくさん降りて来ているのです。(この文章を読んでいる貴方がそうです)
それもやっぱり宣言をして
だから
今、私たちが悩んでいること、苦労していること、苦しいこと、嫌なことがたくさんあることは全部織り込み済みなのです。
わかっていたことなのです。
ただ、記憶を無くされているからわからないだけなのです。
もちろん地球上の人間が全員が全員そうではありません。
地球で何回も輪廻転生をして、神様がわからない人もいる
地球よりも遅れた(精神的に)星からやって来ている幼い魂たちもいる
そして、地球よりもずっと進化した星からやって来ている高い魂たちもいる
地球上には、このようないろいろな段階の魂を持った人たちが一緒になって暮らしているのです。
意識が違う、考え方が違う、感性が違う
だからすぐには判り合えないのです、噛み合わないのです、共鳴しないのです、理解出来ないのです、二元対立するのです、判り合えないからいらだって怒り狂う(感情的になる)のです。
・・・・・・・
でも進化した星からきた魂たちはそれをそのままにはできない
それは対立した魂を融合させて、愛に進化(変化)させることがミッションだからです。
だから人を愛そうとします。
どんなにひどい目にあっても、人を愛そうとすることをやめないのです。
そして安定を求めません、安定は今まで居た星でもう散々経験したことだったからです。
もちろん、不安定な状態、不調和な状況を喜んでいるわけではない
誰でも苦しいのは嫌です、貧乏も嫌です、病気になるのも嫌です。
そんな状態のときは誰でも安定を求めます。
しかし、魂の奥底では、不安定(変化)を望んでいるのです。
不安定の中から何かを学ぼうとしているのです。
そして不安定を克服して、やっと安定になったとき(心も状況も)
至福のときを迎えるのです。
「地球に来てよかった」
・・・・・と
試練や苦悩は過ぎ去ってみれば懐かしい思い出です。
「あの頃は確かに大変だったけど、結構楽しかったよなぁ」
と振り返ることが出来るのです。
だから今受けている試練をそんなに深刻に受取らないでください。
すべては、善くなるためのプロセスです。
魂を成長させるための神様からのプレゼントです。
プラスから出たマイナスです。
「自分は今の状況になることがわかって、受け入れて生まれて来たんだ」
「今の状況は自分にとってベストなんだ」
「魂が成長することが本当の幸せなんだ」
「だから必ず乗り越えることが出来るんだ」
と思うことが大切だと思うのです。
岐路にたちつつ
動物園の動物は、食べる不安は何もない。 他の動物から危害を加えられる心配も何もない。
決まった時間に、いろいろと栄養のある食べ物が与えられ、保護されたオリのなかで、ねそべり、アクビをし、ゆうゆうたるものである。
しかしそれで彼らは喜んでいるだろうか。
その心はわからないけれども、それでも彼らが、身の危険にさらされながらも、果てしない原野をかけめぐっているときのしあわせを、時に心に浮かべているような気もするのである。
おたがいに、いっさい何の不安もなく、危険もなければ心配もなく、したがって苦心する必要もなければ努力する必要もない、そんな境遇にあこがれることがしばしばある。
しかしはたしてその境遇から力強い生きがいが生まれるだろうか。
やはり次々と困難に直面し、右すべきか左すべきかの不安な岐路にたちつつも、あらゆる力を傾け、生命をかけてそれを切り抜けてゆく ━ そこにこそ人間としていちばん充実した張りのある生活ともいえよう。
困難に心が弱くなったとき、こういうこともまた考えたい。
「心をひらく」 松下幸之助 PHP