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つい最近、無謀な運転をする人に出会って、思わず怒ってしまいそうになったのですが、下記の本を読んで反省しました
😢


1.交通渋滞の中、約束の場所へ向かって車を運転しているときに、いきなり前に車が割り込んできて、あやうく事故になりかけた経験はありませんか?

さらにその車が、渋滞の中を縫うように進んでいき、あちこちで接触事故を起しかけ、怒りに満ちたクラクションの音が鳴り響くのを見たことはありませんか?

あなたはどんなふうに感じますか? 憤怒(ふんぬ)に体が燃え上がりますか?

かっとなって血圧上昇? つい、汚い言葉が口から出てしまう?

その運転者に向かって中指を突き立て、憤激(ふんげき)を表しますか?

運転中にキレると、心臓発作や殺意をはらむ衝動など、厄介なことを引き起こします。 実にイヤなものです。

では、こんなふうに想像してみてください。

あの車を運転している人は、きっと息子さんが事故にあってひどいケガを負ったという知らせを受けたばかりなんだ。

だから、手術がはじまる前に病院に着こうと必死で、二度と生きた息子に会えないのではないかと心配のあまり泣いているのだ、 と。

今度はどのように感じますか?

同情心がわき上がってきますか?

その人の無事を祈り、励ましと善意を送りたいと考えますか?

その運転者がただの無法者なバカなのか、それとも取り乱している親なのかはわかりません。

おそらく、決して知ることはないでしょう。

でも、それは重要なことではありません。

重要なのは、あなたが自分に起こったことを考えるときに、自分がどう感じるかを選べるということなのです。

そういう選択ができるということを、たぶんあなたは気づいていなかったでしょう。

でも選択できるのです。

そして、そうすることで、あなたは事故に巻き込まれるリスクを回避できるのです。

あとでもう一度同じ車を見かけたら、その車のめちゃくちゃな走り方を見越して、注意を払うことができます。

あなたはもはや激怒と嫌悪という、不快な感情に振り回されなくなります。

人生において、いったい何度くらいそのような選択に直面し、自分自身の意志によって、怒りや欲求不満、嫉妬や憎しみで心をいっぱいにしているでしょうか? 自覚しているよりももっと頻繁にそういうことが起っているのです。

 
2.ある仏教の僧院の長は深く悩んでいました。

かつては有名だったその僧院は、いまでは すっかり零落(れいらく)していました。

僧たちの修行はいい加減で、見習い僧は出ていき、一般の信者たちはどんどん別の僧院に移っていきます。

僧院長は旅に出て、遠方の賢人に教えを請いました。

せつせつと苦悩を語り、どんなに自分の僧院を変えたいと願っているか、そしてどんなに昔の栄華(えいが)を取り戻したいと思っているかを訴えました。

すると賢人は僧院長の目を見つめて言いました。

「あなたの僧院が衰退している理由は、ブッタ(お釈迦様のこと)が姿を変えてあなたたちのそばで暮しておられるのに、あなたたちが彼を崇めていないからなのですよ」

僧院長はひどく動揺し、あわてて僧院に戻りました。

ブッタがわが僧院に!

いったい誰の姿を借りているというのだ?

ファか? いいや、まさかあの怠け者のはずがない。

ボウか? いいや、頭が鈍すぎる。

しかし、ブッタはわざと姿を変えておられるのだ。

怠け者やうつけ者のふりをなさっていても少しも不思議ではない。

僧院長は僧たちを集め、賢人の言葉を伝えました。

僧たちも非常に驚き、疑いと畏敬(いけい)の念を持ってお互いを見つめ合いました。

この中のだれがブッタなのか?

変装を見抜くことはできませんでした。

だれがブッタであるかわからなかったので、彼らはだれに対しても敬意を持って接するようになりました。

彼らの顔は内から光で輝きはじめ、見習い僧を引きつけ、やがて一般信者もまた集まってくるようになりました。

まもなく僧院は、かつての栄華をはるかに凌ぐほど繁栄するようになりました。

ラオ教授の「幸福論」 スリクマー・S ・ラオ