私たちの本体(本心)は肉体(肉体波動)にあるのではなく、もっと波動の細かい(精神波動)、神界にあるのです。
肉体界←幽界←霊界←神界(本心)
神界にほんとうの自分がいる、神界にいるということは、自分が神であり、宇宙神であり、大自然であり、サムシング・グレート(何か偉大なもの)そのものということです。
そこから私たちは少し波動の粗い霊界を通り、もっと波動の粗い幽界(迷いの世界)を通り、目に見えるほど波動の粗い、肉体界に今、住んでいるのです。
そして、潜在意識の世界、迷いの世界である幽界が肉体界に写って来ています。
神界(本心)の自分がそのまま肉体界に写っていれば、それは神我一体です。
悟った状態です。
しかし霊界、幽界を通るうちに、本来の自分とかけ離れたまったくの別人になっているのです。粗い波動に業想念が溜まるからです。
真っ直ぐに伸びた棒をイメージしてみてください。
その棒が水の入った水槽の中に入れると曲がって(ずれて)見えるのです。
水という媒体を通して見ると実際の棒が横にズレているのです。
これと同じように私たちは神そのものなのに、霊界、幽界、を通ると、我即神也からズレてしまうのです。
いや実際の棒は歪んでいないのに、私たちは水槽というフィルターを通して自分を観ている。(肉体意識で)
そして歪んだ棒を自分だと思っているのです。
そして頑張って、歪んだ棒を真っ直ぐに伸ばそう、元に戻そう、神様のようなピュアで愛深い、素晴らしい、完璧な人間になろうとしている。
ブログを書いていると、コメントやメッセージで「精進します」「我即神也を目指します」と書いてくださる方がいらっしゃるのですが、違うのです。
努力することは素晴らしいことだけれど、それは肉体人間(ダメな人間)を立派な人(霊止・神)にしようとするからです。
とてつもなく高いところへ登ろうとしているからです。
それは違うのです。
私たちは元々神なので思い出せばいいのです。
「私は神である、その神である自分を肉体である器に降ろすのだ」が、正解です。
お釈迦様は、修行中に菩提樹の下で座禅を組んでいて、明けの明星(金星)を観て、
「私はあそこ(金星)にいた、私は神(仏)だった、何億万光年も前(永遠の昔)から悟っていた仏(神)だったのだ」と突然覚醒(めざめた)のです。
私たちもまったく同じなのです。
「自分は神なのだ、パーフェクトなんだ、欠けたるものはないんだ」と気づく時期が来ているのです。
さあ後は、その真実(真理)を邪魔するものを除けるだけです。
邪魔しているのは、過去からの業想念、神様から離れていた想念行為です。
この想いのエネルギーが幽界(幽体)や霊界(霊体)の低いところに溜まっているのです。汚れているのです。
真っ直ぐな棒を歪ませているのです。
五井先生のお言葉で「悟るって難しいことじゃない余計なことを想わなきゃいいんだ」があります。
ほんとうの素晴らしい自分に戻るのを邪魔しているのは想いです。
想い(業想念)を消すために世界平和の祈りがあります。
人間が作った有限の業想念(カルマ)は、宇宙の理念である無限の言霊、世界平和の祈りによって綺麗に消え去ってゆくのです。
そして後に残るのは、神界の自分だけです。神界と繋がった肉体の自分だけです。
私たち人間が肉体を纏って地球に降りて来た真の目的(ミッション)は、神である自分を肉体という器に降ろし、神である素晴らしい自分の姿を地上に顕わすことです。
それしかないのです。
世界人類が平和でありますように
日本が平和でありますように
私たちの天命がまっとうされますように
守護霊さまありがとうございます
守護神さまありがとうございます
追伸・・・業想念の中には「お前は神の子なんかじゃない、ダメ人間なんだ」・・・・がたくさん入っています。
そのような想念、雑念が出てきたらしめたものです。😄
現われて消えようとしているからです。
そんな想いを摑まずにすべて世界平和の祈りの中に投げ入れてください。
どのような業想念も光の溶鉱炉で綺麗に消してくれるのです。